話の肖像画

女優・泉ピン子(5)思いもよらない「テレビ」の人気者に

「ウィークエンダー」から、バラエティー番組に出ずっぱりに。芸名の由来について「マージャン牌(パイ)のイーピンに似ているからピン子⁈」とも
「ウィークエンダー」から、バラエティー番組に出ずっぱりに。芸名の由来について「マージャン牌(パイ)のイーピンに似ているからピン子⁈」とも

(4)にもどる

《演芸場やキャバレーで漫談を手掛けた地方巡業時代を経て、昭和50年、ショッキングな事件を再現して話題を呼ぶ夜のワイドショー番組「テレビ三面記事 ウィークエンダー」(日本テレビ)にリポーターとして出演するチャンスがめぐってくる》

新聞の三面記事を見ながら、フリップボードや再現フィルムを使って解説する番組です。リポーターに空きが出たということで、出演依頼が来ました。28歳の時です。

実は、これ以前にもテレビに何度か出演していたことがあります。でも、毎回失敗ばかり。時代劇のエキストラではスリッパのまま出ていって、頭を台本で引っぱたかれたり、せっかく出してもらえたテレビ寄席ではせき込んでしまって、それが製薬会社提供だったものだから、とても怒られたり…。もうテレビでは売れなくてもいい、と思っていたところでした。

リポーターとして初めて扱ったのは「サカリ豚に嚙(か)まれトン死」。イノブタの牙に刺されて人が死んだ事件が元ネタですが、現場の状況を説明するだけでは場が持たない。さてどうしたかというと、やけくそで豚の交尾の話を身ぶり手ぶり、集中的にしゃべりまくりました。それが受けて爆発的な人気となり、翌日には、レギュラー出演をしてくれないかとテレビ局から人が来ました。

日本テレビが最初に申し出てきたギャラは1万5千円でした。そのころの私は、キャバレー回りのギャラが1日5万円でしたので、「キャバレーの方がギャラが良いので嫌です」って断ろうとしました。そうしたら「ギャラは3万円にします、新人では破格です」と言われ、そういうものなのかなと考え直しました。それでレギュラーになり、毎回のように視聴率40%くらいを取っていました。

《地方巡業で、客の反応を身をもって覚えたことが、ヤジ馬根性を満たす、〝カンどころ〟をつかむコツになり、テレビに生かされたのだろう。どぎつい表現で下世話な事件を題材にしながら、カラッとした語り口で嫌らしさを感じないと評判に。突如現れたテレビ界の新星に、取材は殺到した》

取材が15分刻みで1日30本くらい入るんですよ。そして同じことをずっとしゃべるのです。出身はどこなのか、何が好きなのか、とか…。みんな泉ピン子が何者か分からないから、聞きたがっていました。

そりゃ、一夜にして有名になってしまったので、「この女、何なんだろう」ってなりますよね。日本テレビにも電話が殺到しました。放送で豚の交尾やっちゃったって言ってしまいましたから、「やたら下品な女がいるから降ろせ」とクレームがきていました。でもね、本当に視聴率はとても良かったです。

《当時の新聞には「下ネタ専門でしゃべりまくっていたら顔と名前が売れた」「ピン子が出ないと『どうしたんだ、ピン子を出せ』と抗議が来る」と書いてある》

豚交尾から牛交尾から馬交尾…。動物の交尾ものがなくなったら、人間の売春になって、それからストリップになって…。ウィークエンダーで人気者になったので、いっぱい新人賞ももらいました。昭和51年には放送演芸大賞で最優秀ホープ賞もいただきました。

新人賞は、多分賞金も出ていたのだと思いますが、金額は分かりません。当時の事務所が全部持っていきましたから。

テレビで売れようとは思っていなかったので、なんだか、人間は自分が思っていた方向と違うところへ行ってしまうんだなあ、と感慨深かったです。芸能界って分かりません。(古くからの友人で、俳優の)西田敏行君と「すごく売れたいと思っている人こそ売れないのかも」「私たちって気が付いたら売れていたよね?」と、しみじみ話したことがあります。(聞き手 三宅令)

(6)にすすむ

会員限定記事会員サービス詳細