小林繁伝

長嶋巨人、昭和51年も開幕戦は苦しい船出 虎番疾風録其の四(83)

昭和51年の開幕戦でヤクルトの杉浦に安打を許す巨人の堀内=神宮球場
昭和51年の開幕戦でヤクルトの杉浦に安打を許す巨人の堀内=神宮球場

昭和51年、長嶋巨人はキャッチフレーズをつけなかった。

「去年、クリーンという言葉をいろいろ間違って解釈されて困ったんですよ。だから、ことしはキャッチフレーズはなしにしました」

50年の〝クリーンベースボール〟は「V9野球は汚い野球とでも言うのか!」と川上前監督たちの不興を買ったのである。

4月3日、神宮球場。試合前の練習を終えた長嶋監督は、選手全員をロッカールームに集めた。そして「TOKYO」と刺繡(ししゅう)されたユニホームを指さしてこう言った。

「ビジターのユニホームを着て開幕戦を戦う。これの意味することを胸に刻んでほしい。我々はチャレンジャーである」。この言葉に小林は震えたという。だが、試合は―。

◇4月3日 開幕戦 神宮球場

巨 人 021 030 000=6

ヤクルト 100 031 010=6

(巨)堀内―加藤―小林

(ヤ)松岡―会田―榎本―渡辺孝―小林―西井


巨人の5点リードで迎えた五回、堀内が崩れた。ロジャー以下に4連打されあっという間の3失点。ネット裏の牧野茂は「堀内は早くこの回を抑えて勝利投手の権利を―という誘惑に負け、じっくりと遊ぶゆとりを失った。ヤクルト打線に打たれたというより、自分の心に負けた」と評論した。

六回に2番手加藤が1点を奪われ1点差。そして八回、2死走者なしで4番マニエルの打席。杉下コーチが長嶋監督に「歩かせますか?」と尋ねる。長嶋はマニエルの一発を避け〝安全策〟を取った。だが、5番杉浦23歳はこの年のヤクルト打線でもっとも警戒しなければいけない男だった。

荒川監督直伝の〝一本足打法〟でオープン戦、打率・393(2位)、4本塁打(3位)、18打点(1位)。この日もここまで4打数2安打2打点。八回2死一塁、加藤は2―3からの外角速球を左翼線へ流し打たれた。

巨人は5点差を守り切れなかった。沈む巨人ベンチ。そんな中、「勝ち」のなくなった九回のマウンドに登ったのが小林だった。打者4人、1三振、1死球、無失点。

小雨の中の今季初登板。4時間4分、苦闘の開幕戦は終わった。(敬称略)

■小林繁伝84

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