小林繁伝

吉田監督、見え見えの嘘「トレード知らなかった」 虎番疾風録其の四(82)

昭和60年の阪神優勝の祝勝会で乾杯する(左から)吉田監督、女優の岡田茉莉子、田淵、江夏、小林
昭和60年の阪神優勝の祝勝会で乾杯する(左から)吉田監督、女優の岡田茉莉子、田淵、江夏、小林

南海への江夏放出の裏で、吉田監督が犯した〝失策〟とは次の言葉だった。

「いま、社長から聞きましたが、私はぜんぜん知りませんでした。球団は組織で動いているんですから、現場は与えられた戦力でやるだけです」

昭和51年1月19日、長田球団社長が江夏へトレード通告した日、甲子園球場で記者団に囲まれた吉田監督はこう答えた。一般の会社でも異動のときによくある上司の「オレは何も知らんかったんや」のひと言。これだけのトレードを現場の責任者である監督が知らないわけがない。記者たちの目には卑怯(ひきょう)な〝逃げ〟に映った。当然、江夏も怒った。

「去年(50年)の12月に南海への話が新聞に載ったとき『そんなトレードはない』といっておきながら、最終的に決まると『私は何も知らなかった。初耳ですわ』と笑ったそうや。そんな噓を平気でつく吉田監督を、ワシは絶対に許さへん」。以後、江夏は吉田監督とは一切、口をきかなくなった。

なぜ、吉田監督はこんな見え見えの噓をついたのだろう。実は江夏に対しても、望月に対しても吉田監督は、自らの口からトレードに至った経緯を話すつもりでいた。ところが、それを長田球団社長が止めた。

「君が話して選手とギクシャクするのもよくない。ここは私に任せて、君は何も知らなかったことにして、家に帰っていなさい」

吉田監督は社長の指示に従った。当時、平本先輩は「球団の立場上〝やむなし〟の事情も分かるが、意識的な噓は江夏も含め、ファンをもだましたことになる。阪神のトレードのやり方には再考の余地があり反省すべきだ」と指摘した。

吉田はこの〝失策〟がずっと心に引っかかっていた。時が流れ、10年後の昭和60年、再び阪神のユニホームを着た吉田は、当時、評論家となっていた江夏に「あの時はすまなかった。私が間違っていた。許してほしい」と頭を下げた。

「ほんまにアホなことをしましたわ。当時の社長は私のことを思ってそう言ってくれはったんですが、それに私が甘えてはアカンかったんです。逆の立場になれば、わたしかて〝なんで監督が直接いうてくれへんのや!〟と思いますもん」

あの年の「日本一」はひょっとしたら、江夏の〝呪縛〟が解けたおかげかもしれない。(敬称略)

■小林繁伝83

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