美村里江のミゴコロ

三浦綾子さんのこと

小説家、三浦綾子さんの生誕100周年記念番組に参加した。熱心な制作チームで、事前連絡や下準備も万全。私も予習として、指定の小説やエッセーを10冊ほど読み込んでから、リモート打ち合わせに参加。そこでまた話が広がり、追加の宿題を頂戴して私もさらに張り切った。

そうして数カ月の準備の後、いよいよ迎えた撮影前日。三浦さんが生涯暮らした北海道旭川市のホテルで、私はまだ勉強を続けていた。宿題分はとうに終わっていたのだが、三浦綾子さんの人生はダイジェストに語っても、密度がすごいのだ。

大正11年生まれ。10代から7年間小学校の教師として勤めたが、終戦による教育方針の大きな転換に「自分は何を教えていたのか」と大きなショックを受け、退職。同時期に肺結核を発病した。

療養中、同じく肺結核を患っていた幼なじみ、前川正氏と交流。敬虔(けいけん)なクリスチャンである氏の考えに触れ、昭和27年に自らも洗礼を受けた。その2年後、前川氏が死去。脊椎カリエスの治療として固定されたベッドの上で、綾子さんは失意に暮れてしまう。

そこに現れたのが、前川氏とよく似た面差し、また同様にクリスチャンでもあった三浦光世氏(このお二方の「似ている」レベルは、写真でご確認を)。

導かれるように光世さんと結婚した綾子さん。そこからまた、ふとした偶然の連続で新聞の小説賞へ応募。入選して連載スタートとなったのが、かの『氷点』である。

大ベストセラーとなり、何度もドラマ化された大作だが、ご本人は成功とは考えておらず、その後もストイックに執筆。多くの病魔と闘いながら、夫の光世さんによる「口述筆記」で、多数の作品を世に送り出していった。

私が勉強をして特に興味を深めたのは、夫の光世さんの献身だけではない「何か」である。取材中、光世さん直筆の日記を拝読できたことでまた多くを感じた(来年をめどに書籍化も進行中だそう)。

そして、綾子さんのエピソードで個人的に好きなのは、若い教師時代の話だ。

戦時中で栄養不足の児童たちを心配し、なんとかできないかと考えた綾子先生。児童全員に、少しずつ自宅のみそと何らかの具を持参させ、複合みそ汁を調理。お昼に全員で分けて食べていたそうだ。

賢明なアイデアと平等な温かさが、心に残った。

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