小林繁伝

最下位でも年俸アップ 巨人の査定の仕組み 虎番疾風録其の四(80)

自宅でくつろぐ巨人・小林投手(右)と博子夫人=昭和51年1月、東京都世田谷区
自宅でくつろぐ巨人・小林投手(右)と博子夫人=昭和51年1月、東京都世田谷区

阪神・米田の「しぶちん騒動」の翌日、サンケイスポーツに巨人の契約更改の小さな記事が載った。

見出しは『越年の小林、22%アップで更改』。年末の第1回交渉で20%アップを保留。越年していた小林繁が1月9日、2度目の交渉で22%アップを勝ち取り、年俸420万円で更改した―という記事である。

これには驚いた。小林は昭和50年シーズン、28試合に登板し5勝6敗。防御率3・31。49年の成績(44試合、8勝5敗2S、防2・42)より大きく下回っている。なのにアップ査定。しかも球団は1回目の20%からさらに2%上げている。

50年、巨人は球団ワースト記録のオンパレード。史上初の最下位、最低勝率、最多敗戦、7カ月連続負け越し、首位とのゲーム差「27」などなど。成績が上がったのならまだしも、下がってアップとは…。「巨人の査定法」に興味がわいた。

巨人では1試合ごとに査定ポイントをはじき出す。プラスやマイナス、その合計点が契約更改の資料となる。

ポイントは細かく分類され、たとえ凡打しても走者を進める打撃なら〝犠牲打〟としてプラスポイント。投手でも単なる勝ち負けや登板回数ではなく、ブルペンで何回、肩を作ったか。どういう状況で登板したか―など、数字に表れない貢献度を見ていく。

当時は高橋スコアラーが作ったポイントに長嶋監督とコーチ陣が毎試合後、修正を加えてコンピューターにかける。選手にはそれぞれ〝持ち点〟があり、貢献ポイントの合計が持ち点を超えればアップ。下回ればダウンとなる。

史上初の最下位―は影響ないのだろうか。球団によると「これまで優勝したからといって特別なプラスアルファは出していない。だから、最下位だからと特別なマイナス点もつけない。あくまで個々の成績で判断します」という。

50年の小林は登板がなくともほとんどの試合でブルペンに入り、肩を作って待機した。先発ローテーションが苦しくなれば〝谷間〟で先発。長嶋巨人にとって「困ったときの小林頼み」「最後の砦(とりで)」のような存在だったという。

ちなみに史上初の最下位になっても観客動員数は前年を約25万人上回る283万3500人。巨人はしっかり儲けていたのである。(敬称略)

■小林繁伝81

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