ビブリオエッセー

差し伸べた救いと赦し 「法然―イエスの面影をしのばせる人」井上洋治(筑摩書房)

法然とイエス。カトリックの司祭だった井上さんが二人に共通する思想を見いだし、記した随想集だ。宗教書を改めて読み始めたのはやはり年齢のせいだろう。学生時代に法然の『選(せん)択(ちゃく)本願念仏集』を学んだこともあり、昔の記憶をたどりながら読み返した。

冒頭、井上さんは兵庫県にある浄土宗の寺を訪ねる。そこでは阿弥陀三尊が女性を迎えに来る来迎図が見つかっていた。男性優位の時代に女人往生が描かれた来迎図は珍しく、「(法然)上人が生涯かけて説いた教えの成果が実に鮮やかに結晶されている」と記している。

井上さんは法然が道を求めた比叡山をはじめ生誕地の寺などゆかりの地を訪ね、戦乱の時代を思う。当時の仏教は権力や権威となり、庶民から離れた存在だった。戦火に追われ、飢餓に苦しみ、「やむなく戒を破りながら生活せざるをえなかった」庶民にとって、南無阿弥陀仏による浄土往生を説く信仰は救いだった。

私は『歎異抄』で有名な悪人正機説を思い出した。悪人とは多くの凡夫、悪行の自覚なき庶民のことだろう。浄土教もキリスト教も苦しみと哀しみを背負う人たちのためにある。

日本人の心情でイエスの福音をとらえなおしたい、そんなキリスト者、井上さんの前に法然の言葉があった。井上さんの思索は法然の時代とイエスの生きた時代を往還する。

旧約聖書の律法では神との約束を守り、戒めを守ることで救われるとするが、救われない人たちがいる。新約聖書でパウロは、救われるのは律法によってではなく、信仰によってなのだと、イエスの来た理由を説いた。

遠く離れた時代と場所で民衆のために生きた二人。不思議な縁でつながるように感じた。

大阪府高槻市 坂本真司(85)

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