東京五輪開幕から1年

②唯一無二の大会、乗り越えた クライミング銅・野口啓代さん

野口啓代さん(本人提供)
野口啓代さん(本人提供)

数多くの課題を乗り越え開催された東京五輪開幕から1年。異例ずくめの大会は日本に何を残したのか。識者やアスリートが振り返る。第2回は東京五輪のスポーツクライミング女子で銅メダルを獲得し、五輪後に現役を引退した野口啓代さん(全4回)。

東京五輪の開催からまだ1年しかたっていないのか、という感覚です。

スポーツクライミングが実施競技に決定した2016年、東京五輪を引退の場と決めました。そこから、新型コロナウイルスの影響による延期もあり、本番までとても長い時間を費やしました。

1年延期が決まったときは「あと1年準備ができる。強くなれる」という前向きな気持ちでした。海外の大会は中止になりましたが、国内大会が早い時期に復活したので、実戦感覚をつなぐことができました。開催に否定的な方がいるのは理解していました。「『出たい』と言っていいのかな」と思う時期もありました。自分にできることは、開催されたときにいいパフォーマンスを見せること。開催を信じて練習を続けました。

本番は一瞬でした。出場選手は各国・地域で最大2人の20人のみ。国の代表として大会に出るという雰囲気が今までなかったので、どの選手にも普段にはない緊張感がありました。

決勝は苦手のスピードで4位と好位置につけましたが、得意のボルダリングは3課題で1つも完登できませんでした。難しい課題でしたが「ここで巻き返してメダルは取らないといけない」という焦りもありました。ボルダリング終了時点で6位。とても表彰台が狙える位置ではありません。最終のリードまでの待機中、現実を受け入れられず「家に帰りたい」とさえ思いました。

気持ちの整理がつかないまま、約30分後にリードが開始。「最後は良い登りをして爪痕を残そう」と吹っ切って臨みました。ラストの選手が登り終わり、3位に浮上したときは、とても驚きました。長年、現役を続けてきて最後にご褒美をもらえたような感覚でした。メダルを獲得したヤンヤ(・ガルンブレト)=スロベニア=と(野中)生萌(みほう)は五輪に向けて切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間。3人で抱き合って泣いて…。言葉は交わしませんでしたが、同じ気持ちを共有できた瞬間でした。

当初は、開会式に出て他競技の応援もする予定でした。感染拡大防止のため他競技の観戦はかなわず、選手村に入ったのも本番1週間前。コンディションを整える時間に費やしたので、楽しむ余裕はありませんでした。海外選手も来てすぐに帰るという状況でしたし、無観客で、イメージしていた五輪ではなかったですが、あの状況下で開催していただけただけでもありがたかったです。

現役時代から、普及活動を行ってきました。五輪後、競技人口は爆発的に増えたと感じます。私の幼少時代は子供対象の大会はありませんでしたが、今は小学生の大会に約400人が参加します。東京五輪を見て「プロを目指したい」と言ってくれる子もいて、五輪の影響は大きいと感じました。

東京五輪は自分が乗り越えないといけない壁だったと思います。自分を夢中にさせてくれた唯一無二の大会。「また出たいか」と聞かれると、すごく出たい気持ちと、もう出たくない気持ちの両方がありますね。(構成 神田さやか)

①「無観客」が生んだ新時代 追手門学院大准教授 上林功氏

 

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