一聞百見

お坊さんはロシア人 あふれる空海と日本への思い

如願寺の僧侶、ヴォルコゴノフ慈真さん=大阪市平野区(前川純一郎撮影)
如願寺の僧侶、ヴォルコゴノフ慈真さん=大阪市平野区(前川純一郎撮影)

飛鳥時代に聖徳太子が創建したと伝わる大阪市平野区の古刹(こさつ)、如願寺。千年以上の歴史を持つこの寺で、日々勤行や寺務に励むロシア人僧侶がいる。ヴォルコゴノフ慈真さん(33)。「大昔からあるこの寺の歴史をこれからもつなぎ、人々の幸せを祈りたい」。宗教や文化、風習がまったく異なる異国の地で仏道に精進する慈真さんが目指すものとは。

人生変えた日本、絆に感謝

「まだまだ学ぶことがたくさんありますよ」。常に謙虚な姿勢を崩さず、柔らかい物腰からは誠実な人柄が伝わる。趣味、特技は13歳から始めた合気道や書道、そしてお茶。「ロシアにいたころから日本文化は繊細で美しいものというイメージがありました」。傾ける情熱や造詣の深さは日本人顔負けだ。

日本と海を挟んで向かい合う場所に位置するロシア極東のウラジオストクで生まれ育った。ソ連時代は海軍拠点として外国人の立ち入りが許されない閉鎖都市だったが、ソ連崩壊後は一変。幼少年期、日本をはじめとした諸外国の文化が流入し、急激に街の様子が変化したことを覚えている。「街には日本車が走るようになり、ウラジオストクの人たちにとっても日本は身近な国だったのではないでしょうか」

地元ではロシア人が指導する合気道教室も誕生。中学生のころ、母に連れられて体験に行ったが、当初は乗り気ではなかった。「平和的な性格なので、けんかも好きじゃなくて…」。当初は好戦的なイメージを抱いていた合気道だったが、相手を尊重するという考えを重視する日本の武道に次第に傾倒。この出合いが日本に興味を持つきっかけの一つとなった。

初来日は高校生の時。交流事業でウラジオストクの姉妹都市、新潟市を訪れた。温泉や清潔感あふれた街並み、皿ごとに丁寧に盛られた日本食。「実際に(日本を)見てみて、さらに良い印象を抱き、日本が好きになりました。夢みたいな体験だった」と振り返る。

「もっと日本のことを知りたい」。地元のロシア極東連邦大に進学後は、日本語を本格的に学んだ。日本史の授業で真言宗の開祖、空海のことを知ると、その生き方に感銘を受け、研究テーマに選択。日本で初めての庶民のための学校「綜芸種智院」の設立や、国内最大級のため池「満濃池」の修復工事。宗教者として人々に寄り添い続けた空海は、その後の人間形成に多大な影響を与える。

くしくも如願寺は空海を宗祖とする真言宗御室(おむろ)派の寺だ。「不思議なめぐりあわせですよね。大学生のときは将来、日本語を使った仕事ができたらいいな、くらいにしか思っていませんでした。まさか日本でお坊さんになるとは考えてもいなかった」と実感を込めて語る。

平成22年から1年間、桃山学院大(大阪府和泉市)に留学。滞在中、寮の近くに住む60代夫婦と仲良くなり、頻繁に食事に誘われるなど日本人の温かさを実感したという。「その人たちのおかげで『関西弁』も分かるようになりました」。卒業後は〝空海好き〟が高じ、四国八十八カ所を巡るお遍路へ。そのときも地元の寺の住職が宿坊を提供してくれるなど心温まるさまざまな交流があり、「すてきな縁に恵まれた」と受け止める。

大学卒業後、四国八十八カ所をめぐるお遍路中のヴォルコゴノフ慈真さん(慈真さん提供)
大学卒業後、四国八十八カ所をめぐるお遍路中のヴォルコゴノフ慈真さん(慈真さん提供)

縁あって如願寺で僧侶としての道を歩み始めた慈真さんは「すべてが今の自分につながっていると感じる」。人生を変えた日本との出合い。そこで生まれた人々との絆に感謝しながら、日々を過ごしている。

寺の長女と結婚、過酷な修行乗り越え

「最近は新型コロナの影響でマスクを着けていることもあり、『ロシア人です』というと驚かれるんです」。法衣をまとい、慈悲深い表情で手を合わせる。その姿に違和感を抱く人はもういない。

遠く離れた日本で、僧侶になるとは想像もしていなかった。「でも、日本や空海に関心があったこともあり、自然に受け入れることができました」

きっかけは、後に妻となる如願寺の長女、奈央子さん(38)との出会いだった。

生まれ育ったウラジオストクの旅行会社で通訳をしていた平成25(2013)年、日本からツアーガイドとして訪れた奈央子さんと意気投合し、2年後に結婚。しばらくは現地で日本料理店のマネジャーとして働いていたが、奈央子さんの父で如願寺住職の山本雅昭(がしょう)さん(78)から「うちで僧侶にならないか」と声がかかり、一大決心をした。

ウラジオストクで通訳・ガイドとして働いていた当時のヴォルコゴノフ慈真さん
ウラジオストクで通訳・ガイドとして働いていた当時のヴォルコゴノフ慈真さん

実家は厳格ではないが、ロシア正教を信仰。だが、両親は異国の地で宗教者になることを受け入れ、快く送り出してくれた。「『丸刈りになるの』と驚いてはいましたが、反対はなかった」と笑う。

今思えば、父の教えも仏教に通じるものがあったと感じる。「草にも命が宿る」と環境を大切にしたり、すべての物ごとに感謝したり。こうした父が見せた考えは、慈真さんの人生に今も生かされている。

27年に得度すると、待っていたのは厳しい修行の日々。本山の仁和寺(京都市右京区)では、同年代の日本人8人と共同生活を送りながら、早朝のお勤めや掃除、精進料理の用意など教義や作法を一から学んだ。

早いときは早朝3時に起床。消灯後は非常口の明かりをたよりに日記を書いた。冷暖房もほとんどなく、しもやけにも悩まされた。そして「だいたい何をするのも私が一番遅くてみんなを待たせてしまった」。

外部との連絡は一切できない。そのため、長男が誕生したことも知らされず、「いつ産まれるのか」と気をもむ日々だったという。

過酷な生活だったが、その一つ一つに意味が込められていた。「修行でげたを履くのは虫を踏みつぶしてはいけない、という意味があったから。本当に素晴らしい考え方だと思った」

どんなにつらくても、投げ出そうとは一度も思わなかった。「私が選んだ道なので、こうして修行できるのはありがたいことだと思っていた。仏様がいるお堂の中を掃除するなんて、なかなかそういう機会はありませんから」

半年以上に及ぶ修行を終え、如願寺の僧侶として新たな一歩を踏み出した。最初は外国人の自分が檀家(だんか)の人々に受け入れてもらえるのか不安もあったが、杞憂(きゆう)だった。「ロシアに興味を持ってもらい、子供が『ロシア語教えて』といってくることもあった」。人間の優しさを実感した。

ロシアのウクライナ侵攻以降、各地ではロシア人に対する理不尽な誹謗(ひぼう)中傷も起きている。だが周りは変わらず、一人の僧侶として接してくれている。

家族や檀家らの支えの中で生きている。「だから私も感謝の気持ちを忘れずに、自分のためではなく、誰かのために生きていきたいと思うのです」

語学力生かし「寺泊」、世界との架け橋に

僧侶の枠組みにとらわれない活動も精力的に行っている。その一つが、外国人に寺で宿泊体験をしてもらう「寺泊」だ。

僧侶を務めている如願寺は、千年以上の歴史を持つ古刹。「どうすればお寺に多くの人が訪れ、やすらぎを与えることができるのか」。新たな寺のあり方を妻の奈央子さんと模索していたところ、寺の横にある民家で寺泊を始めることを思いついた。

当時は大阪が外国人観光客(インバウンド)で盛り上がっていた真っただ中。もともと慈真さんには旅行会社での勤務経験があり、計画はスムーズに進んだ。「せっかくの機会。来ていただいた外国人観光客に、日本文化を最大限楽しんでもらおう」と考え、宿泊場所には畳や床の間を設けただけでなく、書道や陶芸体験なども楽しめるようにした。

ロシア語、日本語、英語と語学が堪能な慈真さん。その武器を最大限に生かし、外国人観光客をもてなした。評判はインターネットなどで広がり、母国のロシアだけでなく、オーストラリアやドイツ、米国など世界各国から観光客が集まった。約3年前には、ロシアから来た小中学生約10人が3週間滞在し、地域の人との交流も生まれたという。

ここ数年は新型コロナウイルス禍に直面したが、先月からは日本でもインバウンドの受け入れ再開が始まった。自身のようにロシアから日本に興味を持つ人が増えたら-。慈真さんは自身の願いを込めながら、こんなビジョンを描く。「将来、もしかしたら日本と人生が結びつく人がいるかもしれない。もしその機会を提供できるなら本当にうれしいですね」

気がかりなのは、今年2月に起きたロシアによるウクライナへの侵攻だ。目を覆いたくなるようなニュースに、心を痛める毎日が続く。多くは語らないが、母国には今も複雑な思いを抱いたままだ。

「戦争がまだ終わらないのは残念です。何かできることがあれば、取り組みたい」。5月には平和への祈りをささげようと、総勢約15人の僧侶たちとともに、大阪市の繁華街・ミナミを練り歩く平和行脚に参加。「平和を願って」というメッセージが書かれた旗などを掲げながら、約1キロを歩いた。旗はウクライナとロシアの国旗をあしらった。「みんなで力を合わせて、1日でもはやくウクライナに平和が訪れることを願った」と振り返った。

「平和行脚」で世界平和を願うヴォルコゴノフ慈真さんら(慈真さん提供)
「平和行脚」で世界平和を願うヴォルコゴノフ慈真さんら(慈真さん提供)

今年からはウクライナ語の勉強を始めた。「かつてキーウ(キエフ)を訪れ、ロシア語で話しかけたときも、現地の人には優しくしてもらった」。当時の感動が忘れられない慈真さんは「今度は自分もウクライナ語で会話をしたい」と目を輝かせる。

実はこれも支援の一環だ。ウクライナの語学学校の授業をオンラインで学ぶことでその学校に授業料が入り、支援につながる仕組みになっている。

一刻も早くコロナ禍や戦争が終わり、人々が幸せに暮らせることを願っている。大切にしている日本の教えは「初心忘るべからず」。こうした時代だからこそ、自分を冷静に見つめ直し、謙虚な気持ちを忘れない姿勢が求められていると痛感する。そのために「これからも自分にできることを全力で日々精進してまいります」。人々に寄り添いながら、世界との懸け橋になることを目指している。(清水更沙)

ゔぉるこごのふ・じしん 1989年生まれ、ロシア・ウラジオストク出身。本名はヴォルコゴノフ・ドミトリー。極東連邦大で日本史を専攻し、平成22(2010)年から1年間桃山学院大で交換留学。卒業後、ウラジオストクの旅行会社で通訳・ガイドを務め、26年からは飲食店事業などを手掛ける日本企業のウラジオストク支店でマネジャーを務める。如願寺の長女、奈央子さんと結婚し、得度。29年から如願寺僧侶。

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