室町時代に実在した能楽師、犬王(=道阿弥、生年不詳~1413年)を描くアニメ映画が、公開から1カ月半を経ても、口コミとリピーター人気でロングランが続いている。22日現在、全国で観客動員は21万人を超え、興行収入は3億1千万円。先週7月16日からの3連休は、都内上映館4館中、3館で満員だったという。地味な題材にも関わらず、なぜ「犬王」がアツイのか。
ぶっ飛んだ〝古典〟
犬王は室町時代、近江猿楽比叡座の能楽師として活躍。当時の能界の第一人者で、足利義満の愛顧を得たことでも知られる。天女舞を得意とし、能の大成者である世阿弥にも影響を与えた。
映画は古川日出男著「平家物語 犬王の巻」が原作。史料が少ない〝謎の能楽師〟ゆえの大胆な解釈で、人々を熱狂させた異形の能楽師・犬王(声は人気バンド「女王蜂」のボーカル、アヴちゃん)を、人気絶頂のポップスターとして描く。犬王が盲目の琵琶法師、友魚(ともな、声は森山未來)と組み、ハードな琵琶演奏に合わせ、京都の橋の上や河原でド派手なライブをぶちまかすと、人々があふれんばかりに集まり熱狂。現代のロックフェスティバルそのものの盛り上がりに、静かな能しか知らない人間は、驚かされるだろう。
湯浅監督が「ミュージカルアニメ」と語るように、見どころは2人を軸とした音楽シーン。NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」などを手掛けた大友良英が音楽を担当し、琵琶がギターなど洋楽器とも融合し、ロックとなって炸裂(さくれつ)。拳を振り上げてシャウトし、時にはバレエダンサーのように舞う能楽師、というぶっ飛んだ設定は、「教育番組のような〝お勉強〟ではなく、スタイリッシュなロックスターとして能を描き斬新。日本のメインカルチャーである古典を、とんがったサブカルチャーであるアニメで扱い、両者が理想的な形で融合している」(能楽に詳しい「伝統芸能の道具ラボ」の田村民子さん)と、能ファンをもうならせる。
上映形態の変化でリピーター続出
「犬王」の評判を聞きつけ、能楽取材をしている記者も7月17日、3連休の中日に東京・池袋の「TOHOシネマズ」に足を運んだ。確かに客席は若者で満席、パンフレット(1400円)も売り切れ、購入できなかった。同館は巨大スピーカーでの「轟音(ごうおん)上映」を掲げ、ライブシーンは空気がビリビリと揺れんばかりの大迫力だ。
配給会社によると、犬王人気は主にSNS上の口コミで評判が拡散。アツく魅力を語り、作品にちなんだアート作品を投稿する人が日に日に増え、映画レビューサイト「coco」が算出した新作映画ツイート数ランキングでも、話題作や大作を抑え、1位を記録した(7月8日時点)。
ファンが書き込んだ要望に配給会社も細やかに対応し、上演形態も変化。通常上映に加え、「歌詞字幕付き上映」や、湯浅監督らスタッフのコメントをイヤホンで聞きながら鑑賞できる「オーディオコメンタリー付き副音声上映」などを行う映画館を増やし、リピーターが続出。特にペンライトやうちわを振って鑑賞できる「無発声〝狂騒〟応援上映」は、全国で240回を超えた。
アニメや漫画でも室町人気
「犬王」ヒットの背景にあるのが、今年1~3月までフジテレビで放映されたアニメ「平家物語」(原作・古川日出男、山田尚子監督)の人気。両作品とも、湯浅監督が設立したアニメーションスタジオ「サイエンスSARU」の制作だ。
いずれも薩摩琵琶奏者の後藤幸浩が監修と演奏を担当し、平家物語を伝承した琵琶の魅力も伝えた。「平家物語」は、未来が見える琵琶法師の少女びわが主人公で、平家の滅亡を予言。そして「犬王」では、滅んだ平家の魂の声を拾い集める2人から、新たな〝平曲(平家物語を琵琶の伴奏で伝える音曲)〟が誕生する。
両作品の仕掛け人である映画製作・配給会社アスミック・エースの竹内文恵プロデューサーは、「両作品とも、史実として残っているものが少ない中世が舞台だからこそ、想像力を働かせアニメ作品のフィクションとして飛躍できた」と話す。
最近は漫画でも、室町が舞台の作品が人気を集めている。若き日の世阿弥が主人公の「ワールド イズ ダンシング」(三原和人著)や、後の北条早雲が主人公の「新九郎、奔(はし)る!」(ゆうきまさみ著)、北条氏残党の少年による逃走劇「逃げ上手の若君」(松井優征著)など。若者が室町の歴史や文化に触れる入り口として、アニメや漫画が果たす役割は大きいといえるだろう。(飯塚友子)
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7月29日午後9時、東京・新宿バルト9で湯浅監督、アヴちゃん、脚本の野木亜紀子さんが参加する「生コメンタリー付応援上映イベント」あり。