数多くの課題を乗り越え開催された東京五輪開幕から1年。異例ずくめの大会は日本に何を残したのか。識者やアスリートが振り返る。第1回は追手門学院大の上林功准教授(全4回)。
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東京五輪は「旧時代」から「新時代」へバトンを渡す大会になった。
新型コロナウイルス禍、酷暑、会場の分散化とそれに伴う経費増など、さまざまなマイナス要因が噴出しながら、限られた期間での軌道修正やダウンサイジング(簡素化)など、さまざまな形で解決し、開催にこぎつけた。ただ、2016年リオデジャネイロ大会以前から準備し、期待を寄せられていた「新時代」の大会要素は影を潜め、次の24年パリ大会以降に持ち越しとなった。
ほぼ無観客になってしまったことで、できなかった試みが山のようにあることは残念だ。それでも、国内的には戦後復興を世界にアピールする場となった1964年の前回東京五輪のノスタルジーを総括し、国際的には従来大会のオマージュから決別する大会となった。今後はハード、ソフトの両面で思い切った新機軸や発想が取り入れられるだろう。
マス・ギャザリング(大規模人数)によるイベントスキームから離れることができなかった五輪に対し、多様な大会の在り方を最も極端な「無観客」という形で示したことは大きなレガシー(遺産)だ。例えばパリ大会は、もはやスタジアムやアリーナだけが競技会場ではない。歴史的建造物を活用したり、街中に観客席を取り付けるなど、伝統的な街並みそのものが会場となる計画だ。
これまでのスタジアムやアリーナなどの競技会場は有観客を前提として計画してきたが、無観客でも配信や放映を使うことでイベントが成立するのであれば、会場構成のバリエーションは一気に広がる。街全体が会場となれば、オープンカフェで手持ちのデバイス視聴を楽しむもよし、ライブビューイング施設をつくるもよし。楽しみ方のグラデーションを街全体にかけることができるだろう。
コロナ禍による無観客を経て、海外におけるプロスポーツ興行でのリアルなスポーツ観戦は、富裕層向けに移行してきている。安価なチケット代で多くの人に生で見てもらう時代から、リアルでの観戦は高価でラグジュアリー(ぜいたく)なサービスを少人数に提供するスタイルに変更。その他大勢は、有料のケーブルテレビやネット配信で視聴する時代になりつつある。
こうした観戦スタイルの変化は、スタジアムやアリーナの在り方にも影響を及ぼすだろう。「大きいことはいいことだ」といった発想はもはや通用しなくなり、規模の最適化が行われるようになっている。これらはスポーツをどう伝えるかにも影響を与える。東京五輪ではまだまだ生煮え感のあった放映配信手法や多様なマルチメディアの技術革新も促されることを期待したい。
東京五輪は「ほぼ無観客」という犠牲を払ったが、必ずしもネガティブなものではなく、新たなスポーツの価値を生むきっかけとして後世に記憶されることになるかもしれない。(構成 北川信行)
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うえばやし・いさお 1978(昭和53)年11月生まれ、神戸市出身。追手門学院大社会学部准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所代表。設計事務所所属時に「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(マツダスタジアム)」などを担当。現在は神戸市や京都府宇治市のスポーツ振興政策のほか、複数の地域プロクラブチームでアドバイザーを務める。