話の肖像画

「すしざんまい」喜代村社長・木村清(7)大きな鯉…無念晴らした大漁

中学時代、友人と(右端が本人)
中学時代、友人と(右端が本人)

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《生まれ育った千葉県関宿町(現野田市)は、太平洋に注ぐ利根川と東京湾への江戸川の分岐点。一家の借金返済のために奮闘する少年期、期せずして魚との縁が築かれていった》


おやじが交通事故で亡くなる前、趣味である川釣りによく連れていってもらいました。おやじが川で鯉(こい)を釣って、家で洗いにして食べたことは幼少期のぜいたくな思い出です。おやじが亡くなった後も、家族の食卓を助けるために魚を捕りに行きましたが、せっかちな私は釣りではないやり方にしました。魚がいそうな場所で自転車のライトをつける発電機につながっているリード線を水中に入れ、友人に自転車をこいでもらって通電させ、電気ショックを与えるのです。

電気ショックで動けなくなった雷魚やナマズ、ドジョウを捕まえて、おふくろに料理してもらいました。タタキにすると絶品なんですよ。一緒に捕れた川エビは、大根とともに煮つけにして食べる。こちらもうまかったですね。借金返済で厳しい生活のなか、おいしい魚がどれだけ家族の心を温めてくれるのか。胸に刻み込まれました。


《苦い記憶もある》


おやじとの思い出深い鯉ですが、忘れられない出来事があります。それは田植え後の宴会でのことでした。

昭和30年代、田植えはみんなでやる共同作業で、親戚の田植えを手伝い、自分たちも手伝ってもらう。終わればみんなでお酒とつまみで宴会です。おやじがいないわが家は、親戚の助けがないと田植えが終わらない。そのため、おもてなしの宴会は重要なのですが、わが家は質素な手料理につまみの漬物だけ。心苦しかったですね。

ある年のこと。田植えが無事に終わり、わが家で宴会が始まった。しばらくするとお酒が足らなくなり、おふくろから「酒を買ってきて」と頼まれたんです。当時は一升瓶を酒屋に持っていき、注いでもらう方式。自転車に一升瓶をくくりつけ、酒屋に向かっていたところ、途中の小さな川に巨大な鯉が泳いでいるのが目に飛び込んできた。

あれを宴会に持っていったら、みんな喜ぶぞ。すぐ小川に飛び込んで、必死に抱きかかえようとしました。が、巨大な鯉はするすると腕から逃げてしまう。しばらく格闘しているうち、通りかかったおじさんが、「ボク、何やってんだい?」とやさしく声をかけてくれた。「でかい鯉がいたので、捕ろうとしているんだ」「そうなんだ。ちょっと待ってろ」。おじさんはいったん立ち去って、小さな銛(もり)を手に戻ってきてくれた。ああ、捕ってくれるんだ。とてもうれしかったことを覚えています。

「ほら、あそこに」「よし、任せろ」。おじさんが銛を突くと、先端にはまるまる太った立派な鯉が。「やったあ」と私が歓声を上げた瞬間、なんとおじさんは私に背を向け、すたすたと自分の家に帰っていったのです。悔しいやら、情けないやら。親戚やおふくろの喜ぶ顔が浮かんでいただけに、涙が出ましたね。相手を喜ばせながら、最後に裏切る。自分は絶対にやらないぞ、と誓いました。

横取りされてから数年後、その小川につながっている沼があって、そこに大きな鯉がたくさんいることが分かった。それで大人に見つからないよう、夜中に子供たちが家からバーチカルポンプとかヒューガルポンプとか、水を吸い込む機械を持ち出し、沼に集まった。5、6台で、どっどっどっどっと沼の水を全部抜いちゃったんです。鯉は捕り放題ですよ。そしたら翌朝、「おいっ、田植えの水がないぞ!」って、大人たちが大騒ぎです。「田植えの水だったんだ」と慌てましたね。結局、たいして怒られもせず、大人も子供も一緒になって鯉を捕りました。笑い話で終わったので、水は元にもどったんじゃないかな。あのときの鯉もおいしかったですね。(聞き手 大野正利)

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