西日本豪雨4年

ミカン畑復興まで10年 熱き「女親方」のプライド

豪雨災害を乗り越え笑顔で前を向く山内直子さん。大規模に崩落した後方の山は今も工事が続いている
豪雨災害を乗り越え笑顔で前を向く山内直子さん。大規模に崩落した後方の山は今も工事が続いている

平成30年7月の西日本豪雨から4年。愛媛県宇和島市では記録的豪雨により土砂崩れや土石流が発生し、災害関連死2人を含む13人が亡くなり、29人が重傷を負った。被害は愛媛ミカン発祥の地として知られる同市吉田町でも著しい被害があり、現地では畑の再建など今も長い闘いが続いている。柑橘農家の山内直子さん(57)は「苗は植えたけれど、もうかるようになるには10年かかります」と話し、まだ手入れが間に合っていない園地を見やった。

山内さんが住む吉田町白浦地区は宇和海の法華津湾に面する谷状の地形。柑橘栽培が盛んで、山内さんも同地区を中心に、約500アールの畑で24品種の柑橘を栽培している。

平成30年7月7日の悪夢はとても忘れることができない。朝から停電し、いたるところで山が崩れた。

近所の人に「畑が崩れとるよ」と言われ、見に行こうとしたが、家の前の川はあふれていた。道路は寸断し、畑へ行くことはできなかったという。地区は「陸の孤島」になっていたのだ。

悲しかったのは、保育園に通っていたころからの幼なじみの女性の死だった。山内さんが近所の人から、友人の家が土砂崩れの直撃を受けたと聞いたのは同日の夜だった。「大丈夫?」。心配してLINEを送ったが、ついに既読になることはなかった。入り江沿いに建っていたその友人の家は一瞬のうちに裏山の土砂ごと海へ押し出され、友人と年老いた両親の合わせて3人が犠牲になった。

「お葬式は道路が通ってからで、1週間後でしたね。本当にあっちこっち崩れて、橋も落ちて。泥と水との闘いでした」と山内さんは8月の終わりまで続いた苦しい日々を振り返る。

「電気はなく、小さい子は集会所で近所のお母さんたちが交代で面倒を見た。物資は船で運んできていました。道路をひらいてくれたのは自衛隊でしたよ」

土嚢を積んだ山内直子さんの柑橘畑。ここはまだ手入れができていないという
土嚢を積んだ山内直子さんの柑橘畑。ここはまだ手入れができていないという

自宅の被害がなかったため、連日、ボランティアに出たという。

山内さんは旅行代理店の添乗員を経て、20代で柑橘農家の3代目を継いだ。高級柑橘のブラッドオレンジの栽培にいち早く取り組むなど、「女親方」として約30年の経験がある。

山内さんの畑で被害を受けたのは1割ほどだったというが、表面化しにくい被害もあった。少し落ち着いて畑に行くと、泥の中に他の場所から流れてきた無数の雑木、大小の石や岩、運搬用モノレールが埋まっていたのだ。

「岩盤が出たところはあきらめるしかない。雑木や石などは掘って引き出すのですが、結局はそのまま放置するしかない」と話す。急斜面に手作業で土嚢(どのう)を積み上げたが、十分に手入れが行き届かない畑もある。

愛媛県によると、西日本豪雨災害で被害を受けた柑橘園地は約300ヘクタール。山内さんも2年間は赤字経営が続いた。畑の手入れに追われ、新しく植えた苗は約1300本に及ぶ。「木が大きくなってもうかるようになるには10年かかる。これからです」。インターネット販売や対面販売に力を入れ、果汁100%のジュースも作って販売している。

ところが新型コロナ禍で各種販売イベントは軒並み中止になり、歯がゆい思いもした。それでも、収穫アルバイトに来ていた女性が移住して社員になってくれたのはうれしかった。今は盆の贈答品として河内晩柑の注文が入り、午前中は畑で作業をし、午後は倉庫で箱詰めをする日々だ。

「子供が食べるものをつくるというのが、私のやり方。食べる人の顔を思いながらミカンをつくり、箱に詰めています。木の様子に気付いて改善していくと、人よりいいものができるんです」。幼なじみの死を胸に刻みつつも、噴き出す汗をぬぐい、「これからです」。山内さんは笑顔で作業に取り組んでいる。(村上栄一)

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