敏感で利口な人には、人生がやさしかったことなど、一度もありません 『学生との対話』
「保守」という言葉は、「伝統を大切にする」という意味で使われているが、それが政治用語になると案外分かりにくい。たとえば「新自由主義」という思想を信奉する人々は、社会主義に対して自分たちは「保守」だと言うが、彼らの経済政策は弱肉強食を地で行くものだ。
彼らが信じる伝統とは、弱肉強食の競争原理によって確立された、エスタブリッシュメントの社会的地位や豊かさである。国民の経済生活が平準化する代わりに、自分たちや祖先の努力の結果である豊かさが制限されることは、自らの社会的地位に対する嫉妬のように見える。それを批判する人々は自由を制限し、伝統に挑戦する「共産主義者」であるとする。
これに対し、家風や村落共同体でのしきたりに従いつつ、世代を超えて故郷の風景に、悲しみや喜びの思い出を塗り重ねていくことを伝統だと思う人々は、弱肉強食の競争原理によって、故郷を捨てて血縁をばらばらにすることに何の悲しみも感じない思想が「保守」と名乗ることを理解できない。
これは「伝統」というものが、何を想定しているかによって起こる不具合で、要するに「保守」という言葉が実に曖昧であることを示している。実際、西洋における保守を意味する「Conservatism」とは、王室や貴族、地主、教会の利権保護を目的とし、また進歩主義に対する既得権益者のアンチテーゼの総称であって、「伝統を守るために改革する」程度の内容しかない。
一方で「保守」は、中国唐代の『貞観政要(じょうがんせいよう)』を出典とするが「保業守成」。つまりは「祖先のしきたりを守りつつ、その理想をなしとげる」というものである。祖先の理想である国家観や家族観がないと、そもそも守るものなど存在しない。