話の肖像画

「すしざんまい」喜代村社長・木村清(6)「天と地と己は知っている」母の教え支えに

中学生のころ
中学生のころ

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《父親が交通事故で亡くなり、残された借金返済のために幼少期から新聞配達や農作業、養鶏、ゴルフのキャディーなどのアルバイトに励んだ。遊びたい盛りに大人相手の厳しい仕事が続く。心が折れそうになったときに支えてくれたのが、母親、せいさんの言葉だった》


今でも覚えているのですが、小学生のときに仲間と近所の畑から無断でトマトを取り、持ち帰ったことがありました。みんながやっていたので「じゃあ、ボクも」という出来心です。借金を返すためにおふくろは寝る間も惜しんで働いており、2人の姉も私も学校に通いながらお金を稼いでいました。少しでも食卓に貢献できるのでは、との思いもありました。

誰かが見ていたわけでなく、仲間が告げ口をするわけはありません。それがなぜか、おふくろにはすべてが見えていた。「清! 何だ、このトマトは! あの家の畑から持ってきたんだろっ」「みんながやっているから自分もやっていいのか」。厳しく叱られましたね。

おふくろはふだん、細かいことには注意しませんが、「ここぞ」というときにはっきりと言う。おそらく、そのときの私の挙動で盗んだことに気がついたのでしょう。そして最後にかけられたのが、「何をやっても、天と地と己(おのれ)は知っているんだぞ」という言葉です。「誰も見ていないし、バレないだろう」とやましい行動をしても、自分がやったという記憶は残り、やましい思いは決して消すことができない。これは今でも守っている教訓です。


《母親の教訓はその後も守り続けた》


私が社会人になった昭和49年ごろ、残念なことに水産業界にはバックリベートのやり取りをする人がいました。質のよくない魚と分かっていても、ふだんと変わらない金額で仕入れる代わりに謝礼をもらう。そしていい魚が入ったときには、優先して仕入れさせてもらうのです。暗黙の了解で、そのルートでの仕入れはスムーズになり、会社には貢献することになるでしょう。しかし、お客さんは質がよくても悪くても、同じ値段で魚を買うことになる。最終的にお客さんが損をする形になるのはおかしいのではないか。

先輩から「何でバックリベートを受け取らないのか」と問われたこともあります。でもやはり、おふくろの「天と地と己は知っている」の言葉はつねに私の心の中にありました。借金を返すために幼いころから苦労してお金を稼いできた経験から、せっかくお金を出して買っていただくお客さんには質のいい魚を食べてもらいたい。これがふだんからバックリベートをもらっていると、「この魚をこの金額は無理です」と主張するにも弱気になってしまいます。だから私は決して受け取りませんでした。その代わり、扱う商品の質と仕事ぶりで信用してもらおうと思ったのです。


《夢を後押ししてくれた》


おふくろからはほかにも、「一生懸命、お金を稼ぐのはいいことだ。しかし、くれぐれも『金は力だ』などと思い違いはするな」とよく言われました。人をだましたり、自分だけ楽をしたりしてお金を稼ぐことは絶対にしない人でした。こうした正義感が強い半面、けっこう大胆なところもあった。私の将来の夢が戦闘機のパイロットだったので、「小さいころから平衡感覚を養わないと」と、手助けしてくれたことがありました。あれは小学1年生のころだと思います。バイクに乗りたいと言ったら、私を小型バイクにまたがらせ、おふくろはその後ろを持ってバイクが少し進むと手を離す。これを繰り返していくうちにやがて乗れるようになりました。振り返ってみると、おやじが交通事故で亡くなったのに、自分の子供によくそんなことをさせたな、と思いますね。(聞き手 大野正利)

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