話の肖像画

「すしざんまい」喜代村社長・木村清(5)縁日でヒヨコ売りにだまされた

小学生時代、母、せいさん(右端前から2人目)と靖国神社にて(右端最前列が本人)
小学生時代、母、せいさん(右端前から2人目)と靖国神社にて(右端最前列が本人)

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《4歳になる前、交通事故で父親が亡くなった。父親が残したとされる、覚えのない「借金2千万円」を家族で返済する生活が始まった》

実家は1200坪くらいあり、田んぼや畑など所有する土地も広かったのですが、おふくろは「先祖代々受け継いできた土地を一反たりとも減らすことはできない」と話しており、その決意は固かった。借金はすべて働いて返す。一番上の兄はもう大きかったのですが、おふくろにとって姉2人と私の幼い子供3人を抱えた厳しい日々が始まりました。

おふくろは私たちが目覚める前の4時ごろにはもう田んぼや畑に出ていて、暗いうちにひと仕事をすませ、朝ご飯を作った後はまた農作業に出ます。日が暮れると今度は藁(わら)を編んで縄や筵(むしろ)、俵などを作る。私が夜中に目を覚ましてもまだやっていた。いつ寝ていたのか。私はおふくろが休んでいる姿をどうしても思い出せないんです。病気もせず、とにかく働きづめでね。姉たちも他家の農作業の手伝い、農閑期には街に行っておみそやしょうゆの仕込みなどのアルバイトをしていました。

《自身も稼いだ》

小学校入学前、近所のおばさんがウサギを飼っていたので、「このウサギはどうするの?」と聞いてみた。「子供が生まれると、千葉大学の人が買いにきてくれるんだよ」。おおっ、お金になるんだ。さっそく頼んでつがいをもらい、ウサギを飼うことにしたのです。ウサギは繁殖力が強く、2カ月ごとに5、6匹の子供を産む。1匹20円くらいで買い取ってくれるのですが、どんどん増えるのでいい稼ぎになりました。後になってあのウサギたちは千葉大の医療現場で動物実験などに使われていたと聞き、幼心にかわいそうなことをしたと思いました。それからハトやチャボなども飼いました。

ニワトリを飼って卵を売ることを思いつき、関宿の縁日に行って屋台でヒヨコを買ったんです。「元気な卵を産むようになるよ」なんて言われたので、冬はコタツで温めたりして大事に育てたのですが、成長してニワトリになっても卵を産まない。翌年、屋台のおじさんに「産まないよ」と文句を言ったら、「本当か? 年なんじゃないか」って。ヒヨコが1年たって高齢なんて、そんなバカな、と思い、他の大人に聞いてみた。そうしたら縁日で売るのはオスだけで、卵を産むメスは養鶏場に残すのだという。だまされたと思いましたね。

あの年齢で生き物を飼育したことは貴重な経験になりましたね。生命を育ててお金にする難しさと、大人のずる賢さも学ぶことができましたので。

《成長すると仕事の幅も広がっていった》

小学校に上がるころからは、新聞配達と農作業の手伝いをするようになりました。田畑を耕すのに家で飼っていた牛にひかせるのですが、まだ体が小さかったので牛が言うことをきかず、振り回されて踏み付けられそうになった。大きくなるまで牛は無理です。伯父に中古のロビンの耕運機を譲ってもらい、それで耕しました。私は何をするにも要領がよく、そのうえせっかちなので、1日に何枚も田んぼを耕すようになった。ついでだからと隣の家の田んぼも耕したら、おふくろに怒られてね。よかれと思ったのに「『お駄賃目当てか』と言われるぞ」と。子供には分からないしきたりがあることを学びました。

小学3年生のころは体が大きかったので、学校が休みの日はゴルフ場でキャディーです。最初のうちは用語がわからず、「スプーン(3番ウッド)持ってこい」と言われて、「カレーでも食べるんですか」と聞き返して空気が凍り、「ブラッシー(2番ウッド)を」と言われたときは靴のほこりを取るブラシを探し、とうとう怒鳴られたことを覚えています。それでもキャディーは1日3千円と法外な稼ぎになる。いくら邪険にされようと、やめるわけにはいきませんでした。(聞き手 大野正利)

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