霞が関から故郷の町長に 「肩書外し」「DX」「関係人口」で活性化

DXで持続可能な町

昨年11月、菅野さんは内閣官房のデジタル田園都市国家構想の事務局へ異動した。担当大臣の随行で徳島県神山町を訪れた。ITによる地方創生で知られ、新型コロナウイルス感染拡大後は、自然の中でテレワークできるサテライトオフィス(遠隔地拠点)にIT企業などが入居する先進地として視察が絶えない町だ。

四国の山あいの町と、ふるさとの風景が重なった。

「どちらも同じような中山間地域。河岸段丘沿いに国道が走っていて、人口も同じ5千人弱。それなのに神山町ではサテライトオフィスに起業家がいて、学生が戻ってきて、おしゃれな店がたくさん並んでいた」

休日を使って東京から徳島へ通った。今年に入り、故郷の現職町長が勇退を決めた。自民党からの打診もあり、出馬を決意した。

「人口が減り続けるふるさとの持続可能性に危機感を持っていたとき、神山町を見て、西川町でもできると思った。目指す将来像からのバックキャスティングが描けた。選挙は自信がなかったけれど、地域を活性化する自信はあった」

隣接市の県立高を卒業以来、四半世紀ぶりの故郷。中学の同級生30人ほどが応援してくれた。その一人で建設業団体職員、井上修一さん(43)は「彼が帰ってきて、われわれも変わった。青年団など、ばらばらだった同級生のつながりが復活した」と話す。

初めての「ズーム会議」「ズーム飲み会」で毎晩、町の将来を語り合った。

「関係人口」育てたい

町長就任後の5月中旬、菅野さんの実家に、かつての公務員仲間が集まった。祖母が営んでいた小さな商店の売り場だった場所は、サクランボの作業場や、15人ほどが集まれるワークスペースとなっている。

菅野さんが「国の地方創生策でいう、観光客という『交流人口』を、町のファンである『関係人口』に育て、さらに『移住人口』へとつなげていきたい。うちの町は観光客は来てくれるけれど、関係人口がほぼいない。関係人口の協力を得て、稼ぐ町に、住みやすい町になっていきたい」。

こう抱負や悩みを語ると、公務員仲間が「関係人口とひと口に言っても、どういう人たちを呼んでくるかですよね」などと応じ、議論が続いた。

菅野さんが初めて自分の町のことを考えたのは、昭和63年、小学4年生の社会科の時間だったという。

先生から「昔は町に鉱山があって、鉄道もあった。人口は1万6千人いた」と聞いて、驚いた。小4当時の人口は8700人。子供心に「町を何とかしたい」と思った。その母校は10年前に閉校し、山菜料理の食堂と資料館になっている。

34年後、少年は町長となり、初めての町議会で居並ぶ議員を前に、宣言した。

「今後の5年で『稼ぐまちづくり』の基礎を固め、10年後には、15歳から64歳までの『生産年齢人口』が増加に転じる町にしていきたい。そう考えています」

会員限定記事会員サービス詳細