ビーツによる鮮やかな赤紫色のスープが特徴のボルシチは、ウクライナ人の詩人によって日本に伝えられたらしい。幼いころの病気で視力を失ったワシリー・エロシェンコは大正3年、当時のロシア帝国から日本の盲学校で学ぶために来日する。
▼やがて文化人のサロンとなっていた東京・新宿の「中村屋」に身を寄せるようになった。創業者の相馬黒光はロシア文学の愛好者だった。もっとも、社会主義思想に傾倒したエロシェンコは、国外追放処分となってしまう。
▼昭和2年にレストランを開設した中村屋は、おそらくエロシェンコから作り方を伝授されたであろうボルシチをメニューに入れた。もともとウクライナの郷土料理が始まりだが、代表的なロシア料理として日本を含めた世界中に広まっていった。