高松塚古墳壁画(奈良県)に次いで国内2例目の確認となった飛鳥時代の「女子群像」が描かれた板をはじめ、鳥取県では近年、考古学上の貴重な発見が相次いでいるが、そのほとんどが山陰自動車道(山陰道)などの高速道路(高規格道路)の建設に伴う発掘調査で出土したものだ。多くの調査を担当した県埋蔵文化財センター(鳥取市)では、この20年余の成果を「歴史を塗り替えた発見」と銘打ち7月22日まで企画展示している。
高松塚に次ぎ国内2例目
女子群像板絵は長さ約70センチ、幅約15センチ、厚さ約6ミリの杉製。6人の女性が列をつくって歩く姿が表現され、縦じまの模様が入った裳(も)と呼ばれるスカート状の着衣や、侍女とみられる女性が持つ払子(ほっす)(ハエ払い)らしきものが、高松塚古墳壁画の女性を想起させる。製作年代も同古墳壁画と同じ飛鳥時代の7世紀末から8世紀初頭と推定されている。
出土したのは鳥取市青谷(あおや)町の青谷横木遺跡で、山陰道の一部「鳥取西道路」(鳥取市本高(もとだか)-同市青谷町)建設に伴う調査で見つかった。同遺跡からは板絵のほか、人形(ひとがた)や馬形など2万5千点を超える木製祭祀(さいし)具や木簡、国内初確認となる柳の街路樹を伴う古代山陰道、条里制の遺構が相次いで確認された。
世紀の発見は平成28年9月6日のことだった。同センターで、前年に出土した大量の木製品を水洗いし確認していた際、担当者が板片に墨の痕跡があるのを見つけた。
「青谷横木遺跡からは木簡がたくさん出ていたので、墨の痕跡があるものをより分け、赤外線撮影で調べることにしていた。その結果、墨の痕跡は人の頭の絵と分かり、ほかにもないか探すと、最初の板片も含めて計5つの板片が見つかった」
同センター企画研究担当係長の東方仁史さんは、当時をこう振り返る。何に使われ、だれが描かせたかなど、現在に至るまで未解明な部分は多いが、女子群像板絵発見のニュースは脚光を浴びた。
「地下の弥生博物館」
高速道整備に伴う大発見の第1号となったのは、国史跡の青谷上寺地(かみじち)遺跡(鳥取市青谷町)だ。こちらも今は山陰道に組み込まれた「青谷・羽合道路」(同市青谷町-湯梨浜(ゆりはま)町)などの建設に伴う調査で、平成10年代のはじめにまず、弥生時代の水田跡や大量の人骨が出土した。
その後の調査で土器や木製品、石製品、骨角製品、鉄製品など10万点にもおよぶ出土品や、100体以上分の人骨、日本最古の脳3点などが見つかった。出土品の一部は国の重要文化財、遺跡は国史跡に指定され、その多様性や保存状態の良さから「地下の弥生博物館」と称される。今年は、出土した頭蓋骨をもとに県などが弥生人の顔を復元。現代的な顔をした「青谷上寺朗」としてよみがえり、そっくりさんコンテストも行われて注目を集めた。
同センターの企画展示では、山陰道の「東伯・中山道路」(琴浦町-大山町)建設に伴い平成16~19年度に行われた調査で出土した東海地方のものと同じ特徴をもつ縄文時代の土偶や、同じく山陰道の「中山・名和道路」(大山町)に絡む調査で23、24年度に確認された約3万5千年前から3万年前にかけての黒曜石と玉髄(ぎょくずい)を原料とした石器などを展示している。
このほか、26~28年度の「鳥取西道路」の調査で出土した、デザインが精巧な弥生時代の花弁高杯や、身分が高い人が顔を隠すための古墳時代の団扇(うちわ)型木製品なども紹介。いずれも、県内の考古学史上で画期的な発見としている。
「古墳王国」の解明に注力
鳥取県内の高速道路網は現在、東西を貫く山陰道、南北に延びる鳥取自動車道、米子自動車道などが整備され、県庁所在市へ通じる高速道路がなかった20年前と比べて格段に充実した。この間の道路整備に対応するため、県埋蔵文化財センターの職員数はピークの平成27年度には、12(2000)年度比で3倍の54人まで増加した。
21年度には、「鳥取西道路」の発掘調査で、山陰最古級の前方後円墳・本高(もとだか)14号墳(鳥取市)を確認。築造はそれまで最古とされた古墳より数十年さかのぼる4世紀前半と推定され、その重要性から、道路建設工法が開削からトンネル方式に変更され古墳は保存された。
現在、高速道建設は一段落し、同センターの職員数は減少に転じている。本高14号墳をはじめ県内には前方後円墳約250基を含めて1万3500基を超える古墳があり、全国屈指の「古墳王国」とされる。しかし、そうした古墳も未解明な部分が多いため同センターは、これまでの高速道建設に伴う発掘調査主体から「古墳王国の実像を明らかにする取り組みを進める」方向にかじを切っているという。(松田則章)