「日本維新の会が野党第一党を目指す以上、維新の本拠地・大阪で立憲民主党が逃げるわけにはいかない。『やるしかない』とすぐに決めた」
今春党本部から大阪での立候補を要請され、受け入れた当時をこう振り返る。
大卒後約10年、日本長期信用銀行(長銀)で勤務。平成10年の金融危機で、金沢支店の店舗責任者として取り付け騒ぎを経験し、「政治家が経済を知らないために、昭和の金融恐慌のようなことをやらされる国民がかわいそうだ」と政治の道を志した。12年には民主党から衆院選に立候補し、次点で落選した。
その後政策担当秘書として国会議員6人に仕えたが政治家の多忙さに触れ、国政再挑戦の気持ちは「あまりなかった」と漏らす。それでも今回、故郷での党勢衰退を憂い立候補を決めた。「ちゃんと政策を訴えられる人」との党本部からの要請に「僕しかいないと思った」と力を込める。
洋楽好きで米国のロックバンド「パール・ジャム」のアルバム曲を聞いて選挙戦への闘志を燃やす。ギターの弾き語りも得意で、「選挙が厳しければ街頭で歌うかもしれません」と茶目っ気たっぷりに語った。