話の肖像画

落語家・桂宮治(27) 感情をないまぜに…奥深い落語の力

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《落語の世界に入って15年目の45歳。まだまだ〝若手〟だ》


いまの自分には、笑いも、人情も、怖いも、欲も、悪も、面白い。世の中って、ただ笑って明るく楽しいだけってことはないですよね。みんな、隠しているだけで、欲とか悪とかある。

落語にはひどい話がたくさんあります。こんなにあるんだっていうくらい。そういうものを見せると、「ああそうだね。でも、なんでそんなことわざわざ言うんだよ」って言われたりする。でも僕は、そういうことをするのがなぜか楽しい。怖いものはより怖く、気持ち悪いものはより気持ち悪く、演出したくなるんです。

賛否はあると思いますし、そこはさらっとやるのがいいという風潮もありますが、僕みたいなのがいてもいいんじゃないでしょうか。お客さまがちょっとひくくらい、演じた方が面白くないですか。

「そうだよね。おれもそういう汚い感情もっているよね。そうだよ、もっともっとそういうところを出した方が人間っぽいじゃん」って。

その分、陽気なところは、とことん明るく陽気にやります。その振れ幅を大事にしている。いや大事にしているのとは違うな、自分がそうやりたいだけなんですね。

いろんな感情を感じてもらいたいんです。人って一面だけじゃ、絶対にないですよね。こっち側から見たら良い人だけど、あっち側から見たら悪い人だったりする。それを落語の力、噺(はなし)の力を借りてやらせてもらっていると思っています。僕が独りで何かを表現しているのではなくて、落語というすばらしい芸能、先人が代々伝えてくれていた噺を借りて、「人間てこうだよね」と。

なぜ、そんなことをしたいのかな。何がそうさせるんだろう。自分の人生で何かあったのか…。

たぶん、生い立ちがどうとかというより、自分自身の中にあるからじゃないですかね。人前ではこういうことを言っているけど、裏ではこんなことを考えている。他人に押されたくない「ボタン」をみんな、絶対に持っているんだけど、それを隠している人の方が良い人だといわれる世の中。でも、「そうじゃないでしょ。きれいごとばっかりじゃないじゃん」って、常日頃ずっと思っているからかもしれません。

きれいごとばかり言って生きていくのがあまり好きじゃなくて、「人に会うのが苦手」とはっきり言っちゃう。昔は言ってなかったんです。だから生きづらかった。人と会うって、いいことばかりじゃないですよね。


《落語そのものが持つ力が〝人見知り〟の青年を一人の噺家に育て上げた》


落語家の世界では「良いことを言ってきたり、褒めてきたりする人は敵だと思え。小言をしてきたり、文句を言ったりする人は味方だと思え」と言われます。そういうの、落語の物語の中によく出てきますよね。

落語をやればやるほど、人間の善と悪、陰と陽がぐちゃぐちゃになってくるんです。悪い部分も違う側から見たら良い部分かもしれない。そういう変な気持ち悪いところが落語ってすごくあります。それを稽古して「うわ、すごい。人間ってこうじゃん。もっとこれ気持ち悪く考えているやつって絶対いるよな」ってやっていったら、自分で面白くなっちゃって。そのうちに表現する側としても面白くなっていきました。

最初からそれが落語の魅力だと思って始めたわけではありません。営業マンとして人を不幸にしていると思い詰めていた自分が、桂枝雀師匠の爆笑高座を見て「人をこんなに幸せにする人いるんだ」って落語と出合った。そうしたら、ただ笑うだけじゃない、いろんな噺があることを後から知りました。やっている側として面白いと感じるようになったのは、ずっと後になってからです。(聞き手 池田証志)

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