朝晴れエッセー

真夜中の母娘・6月27日

もう十数年も前になるけれど、その頃私は栃木県栃木市の老人養護施設に1泊で母の世話に行っていた。母は毎日介護に来る姉を「幸子」と呼び、2週間に1度行く私を「お母さん」と呼んだ。まだ名前で呼ばれる姉がうらやましかった。

90歳をとうに過ぎた母に60代の「お母さん」はおかしいけれど、何度も「私はあなたの娘」といっても母の頭は受け付けない。もういいや、私は「お母さん」になった。

夕食が済むと母の入れ歯を洗い、車いすから抱きかかえて布団に移し、オムツを替えて1日がおわる。私は母の傍らに眠った。

そして真夜中に私の髪をいとおしくなでる母がいた。「泰子だよ」と言うと「そうだな、泰子だなぁ」と。真夜中の少しの時間、本当の親子に戻り、2人幸せにまた眠った。

そんな夜が幾たびかあったが、そのうち母の頭が「ふと正常に戻る」こともなくなり私は完全なお母さんになった。

会社勤務をしながら認知症の母の介護は大変なことも多かったけれど、十分に一緒の時間を過ごせたのでほぼ悔いというものはない。

ただ亡くなる前日に母のところに行ったにもかかわらず、まだ数日は大丈夫だろうと家に戻り、翌日の最後のお別れに間に合わなかったのが少し悔やまれる。きっと母も「お母さん」にいてほしかったのではないかと思うのである。


高島泰子(74) 川崎市宮前区

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