門井慶喜の史々周国

清盛の自画像を見た 広島・厳島神社

潮が引き、全容を現した厳島神社。戦国期の毛利元就もあつく崇拝した。世界文化遺産にも登録されている=広島県廿日市市(筆者撮影)
潮が引き、全容を現した厳島神社。戦国期の毛利元就もあつく崇拝した。世界文化遺産にも登録されている=広島県廿日市市(筆者撮影)

素顔の厳島神社が見たい、と思った。

ふだん雑誌やパンフレット等で見るのは、よそゆきの写真ばかりである。たとえば海中で仁王立ちする大鳥居。その青い水面では朱色の鳥居があざやかに逆立ちしている。あるいはたとえば社殿の床下。ひたひたと潮が寄せてお伽話(とぎばなし)の竜宮城さながら。

しかもそれらが平家の時代、八百年以上も前には成立していたと言われると何だか八百年間おなじ光景がつづいているように思ってしまうが、しかしよく考えるまでもなく、潮というのは満ちれば引くものである。

引いたときには鳥居も社殿も、いわば陸上のそれになる。陸上の神社ならどこにでもある。明快な外観を剝奪されたときに現れるものこそ真の個性であることは、文化財も、そしておそらく人間もおなじだろう。そんなわけで私はまたしても愛用のゼロニューヨークの青いリュックを引っぱり出して、新大阪から新幹線に乗った。宮島へ着いたら雲が晴れ、青空になっていた。

おりよくと言うべきか、潮はすっかり引いていた。大鳥居も修理工事のため灰色のシートで覆い隠されていて、今回の目的には打ってつけだ。私は社殿のなかに入った。床(ゆか)は板敷き。天井が高くなく、朱色の丸柱が林立しているが、意外と窮屈な感じはしない。

たぶん壁がないからだろう。振り返れば柱と柱のあいだには青空が望めるのである。いったいにこの神社が平安末期、平清盛の援助を得て大発展したことはよく知られているが、そのころの貴族の住宅の基本形をそのまま採用したのがこの社殿なのだ。

いわゆる寝殿造(しんでんづくり)である。家に壁がないというのは現代の私たちには驚きだが、屋外との区画のためには重い蔀戸(しとみど)を吊(つ)り下げるし、内部の仕切りには几帳(きちょう)などを立てる。間取りは自由自在である。

つまりは『源氏物語』の世界なのだ。象徴的に言うならば、厳島神社には光源氏(ひかるげんじ)がいる。王朝的、文化的、内向的な空間。しかも下は浜砂(はますな)である。たとえ潮は引いていても海のにおいは濃厚だし、何といっても柱の下には貝類や甲殻類がちょこちょこ付着している。

『源氏』だけにフジツボか、などと冗談のひとつも言いたくなる。そうしてこういう生物には船の底にくっついて速度を低下させたり、燃料消費を増大させたりといった迷惑な印象も強いので、そこで社殿そのものを巨大な船と見立てることも可能になる。

浜砂の上にずるずる引っぱり上げられた屋形船。満潮時だったらかえって建物の不動性が感じられ、船のイメージは薄くなっただろうが、実際おそらく、平清盛の目にも、この建物はやはり同様の連想において船に見えたと思われる。

そうして清盛にとって船というのは、まず何よりも兵器だったはずだ。なぜならもともと清盛の系統の平氏は伊勢国を根拠地としていて(伊勢平氏という)、伊勢湾、三河湾、およびその沿岸地域を足がかりにして数代にわたって成長している。いわば海の一家なのである。事実、清盛の父や祖父などはわざわざ西国まで出向いて海賊を追捕することで京の朝廷の信用を得たのだ。

保元の乱、平治の乱といったような京をめぐる有名かつ劇的な陸上戦は、長い平家の歴史のなかでは最後の仕上げにすぎない。そんなわけだから船というのは武士的、戦闘的、外征的なものの象徴であり、そのいっぽうで、さっきも言ったとおり、この社殿は寝殿造である。王朝的、文化的、内向的な住宅。

どうやらここで、この神社はようやく真の姿を明らかにしたようである。武家と公家の融合。戦争と宮廷政治の両にらみ。平家政権そのものの姿ではないか。

清盛など、その典型にして頂点だった。武門の棟梁(とうりょう)でありながら太政大臣という朝廷最高の官職に就いた。そうして一門の武将も大なり小なり同様に公武兼業だったので、清盛はつまり厳島神社を大改装して、いまの姿にしたときに、いわば自画像を描いたことになる。私の見たかったこの神社の素顔とは、まさしく清盛の顔だったのである。

結局のところ、平家は負けた。

源氏に奇跡の大逆転をゆるし、西の果ての壇ノ浦まで追いつめられて滅び去った。文字どおり海の尽きが運の尽きだったわけだが、もしも滅んでいなかったら、そうして清盛がもう少し長生きしていたら。

彼は幕府をひらいていたかもしれないし、そうなったら現在、歴史の教科書に「鎌倉時代」とあるところは「宮島時代」になっているかもしれない。NHK大河ドラマのタイトルも……私はそこで空想をやめ、朱色の丸柱のあいだを縫って社殿を出た。潮はまだ満ちる気配はなかった。


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