書評

『村上春樹のタイムカプセル 高野山ライブ1992』加藤典洋、小浜逸郎、竹田青嗣、橋爪大三郎ほか著(而立書房・2420円)団塊よ君はどう生きたか

『村上春樹のタイムカプセル 高野山ライブ1992』
『村上春樹のタイムカプセル 高野山ライブ1992』

1992(平成4)年の冬、高野山の宿坊で4人の論者を囲み、村上春樹の小説をきっかけとした話し合いが持たれた。その記録だ。4人の論者とは、小浜逸郎(批評家)、竹田青嗣(哲学者)、橋爪大三郎(社会学者)、そして今は亡き加藤典洋(文芸評論家)。いずれも当時40代前半だった。参加者はおよそ70人。話し合いは徹夜となり全員が悩みもがいていた。同世代の私も同じような悩みを抱えていたことを覚えている。

60年代後半の学生運動には「社会を良くしたい」という理想があった。しかし、運動が進んでいく中で、目的のためには手段を選ばなくなり、仲間を殺すまでになってしまった。

理想は輝きを失い、運動の火は消えた。失語症のようになった者たちは自己療養のようにして、「社会を良くする」よりも「自分が良くなる」方が先ではないかと考えるようになった。他人には強制しない自分だけのルール(本書では「マクシム=格率」と言っている)を持って生きようと。

同じ頃、村上春樹の小説の主人公もデタッチメント(関わらない)を大切にしていた。そんなふうにして何年かが経(た)ち、世界では天安門事件があり、湾岸戦争が起こり、ソ連が崩壊した。自分だけのルールから他人や社会へとつながる道筋を見つける必要を感じるようになる。が、それは以前のような「社会を良くしたい」という単純な理想へは戻れないのだった。

参加者は誰もが、自分から社会への道筋が見えないことに悩みもがき、欲望、倫理、家族、国家などの話題について次々に論じていった。くしくも同じ頃、村上春樹もデタッチメントからコミットメントへの道筋を模索していた。

この話し合いから30年が経った。その間、4人の論者は、加藤が戦後史について、竹田は哲学で、橋爪は社会学において、小浜は家族論で、それぞれ大きな仕事を成し遂げている。本書を読んでいる最中、彼らの仕事が形になる前のマグマのような状態で沸々とたぎっている現場に立ち会っているようで興奮した。そして本を閉じたとき、私自身は、いまだ30年前のあの地点で立ち迷ったままなのに気づき、茫然(ぼうぜん)としたのだった。

評・上原隆(コラムニスト)

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