日曜に書く

論説委員・長戸雅子 「法治」訴えた韓国の弁護人

韓国の尹錫悦新大統領の就任式に出席した(左から)文在寅前大統領と金正淑夫人、朴槿恵元大統領(聯合=共同)
韓国の尹錫悦新大統領の就任式に出席した(左から)文在寅前大統領と金正淑夫人、朴槿恵元大統領(聯合=共同)

「事情は分かりました。お引き受けしましょう」

こちらが拍子抜けするぐらい即決の返答だったと記憶する。「韓国は言論の自由が保障された民主国家です。この記事で有罪になるのなら、韓国は世界から笑いものになる」

現代の「王」と対立

2014年8月。ソウル・江南(カンナム)の法律事務所で朴栄琯(パク・ヨングァン)弁護士に初めて会った。朴槿恵(クネ)大統領(当時)の名誉を傷つけるコラムを書いたとして韓国検察の聴取を受けることになった産経新聞の加藤達也ソウル支局長(同、後に在宅起訴、無罪が確定)の弁護人を引き受けてくれるかどうか、支局長と一緒に事務所を訪ねたのだった。

すでに他の大手法律事務所からは断られていた。理由はひと言。「大統領案件なので…」。

日韓関係に詳しい専門家はこう解説する。「日本では想像しづらいでしょうが、韓国で個人が大統領に反旗を翻すような行為を取るには相当な覚悟が必要です。大統領は社会のあらゆる権力を握る現代の王なのです」

政権と真っ向から対立する事案であるのに加え、韓国で厳しい評価を受ける産経新聞である。そういえば、この問題を論じた左派系韓国紙は「口にするのも汚らわしい産経新聞だが…」と表現していた。

「法律の世界は法律の世界。政治は関係ない」。弁護人を引き受けた理由を朴栄琯氏は旧知の人物に淡々と語ったそうだ。

支局長の無罪判決を勝ち取った知日派の硬骨漢が今月8日、69歳で亡くなった。

日韓交流の先駆者

朴氏は韓国検察で特捜部長や高検検事長を務めたエリートだった。退官理由は後述するが、日本と韓国の定期的な検察交流の先駆者でもあった。

日本の中央大学留学を経て1992年、法律分野の初代アタッシェ(専門職員)として在日本韓国大使館に赴任。日韓間の犯罪をめぐる取り扱いなど実務面での協力や刑事政策の情報交換など、大使館に検事出身のアタッシェを置くのは韓国の長年の希望だったという。日本側も2007年から検事出身者が在韓国日本大使館に常駐するようになり、歴代アタッシェのプロフィルなどの記録は双方で大切に引き継がれている。日韓検察間のサッカー大会は1990年代後半から続く親睦行事だ。

「両国関係がどんなに厳しくても、私たちの交流は変わりませんでした。それは職務の目的と苦労が共通しているからです」(日本の法務検察幹部)

目的とは「巨悪や不正を許さない」という正義の実現。苦労とは「政治との距離」という。しかし、大統領経験者の訴追やソウル支局長事件に代表されるように、韓国の検察には「距離」どころか「時の権力と一体となって動く」というイメージがついて回る。韓国社会には「生きた権力と戦わず、死んだ権力だけを叩(たた)くハイエナ」との酷評もあるほどだ。

「法律の世界」に政治がいや応なしになだれ込んでくるのは、大統領が検察をはじめ、国家組織の直接の人事権を握り、露骨な介入をためらわないからでもある。背景には建国来の保革対立の激しい政争がある。

別の法務検察幹部もこう補足する。「韓国側からは『中立性をどう保ち続けるのか』『人事制度はどう運用されているのか』とよく質問を受けました。政権が代わるたびに幹部級がごっそり入れ替わる。韓国検察の在り方に苦悩する検事が多いのも事実です」

「死を忘れるな」

「どんな栄光の座にあってもすべて変わるから、驕慢(きょうまん)になるな」。朴氏の訃報を伝えた韓国紙京郷新聞によると、朴氏は退官時、「死を忘れるな」を意味するラテン語の「メメント・モリ」を引用し、こう戒めたという。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の両左派政権で要職を歴任した朴氏を保守系の李明博(イ・ミョンバク)政権は「(左派の)色がついている」と遠ざけ、2度の左遷人事を行った。事実上の追放だった。

検事時代の朴氏が手掛けた政界がらみの不正事件捜査が現在も保守派の批判対象となっているのは事実だが、退官の言葉には「法律の世界」が法律以外の要素に深く侵食されることへの無念さがにじんではいまいか。

朴氏は「無罪判決を得てもそれをアピールすることなく、終始、恬淡(てんたん)としていた」(旧知の知人)。支局長事件の弁護は、人治と政争があちこちに根を張る韓国社会で、「法治の重み」を問う戦いだったのだと改めて思う。(ながと まさこ)

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