小林繁伝

最下位の長嶋巨人に「王ヘッド構想」 虎番疾風録其の四(73)

ベンチ内で握手をする巨人の長嶋監督(右)と王内野手=昭和51年6月、ナゴヤ球場
ベンチ内で握手をする巨人の長嶋監督(右)と王内野手=昭和51年6月、ナゴヤ球場

昭和50年、長嶋巨人は球団史上初の「最下位」という恥辱にまみれた。全球団に負け越し、開幕6試合目(4月12日、阪神戦)で転落してから10月17日の最終戦まで、一度も浮上することのない、まさに〝完全最下位〟といえた。

エース堀内は10勝18敗。新浦は2勝11敗、小林も5勝6敗に終わった。王が打率・285、33ホーマーで田淵に本塁打王を奪われ、柴田、高田、末次とV9戦士は軒並み2割台。新外国人ジョンソンは・197、13本塁打で〝ジョン損〟と陰口をたたかれた。

なぜ、こんなことに…。小林は当時をこう振り返った。

「絶対的な〝重し〟(川上監督)が取れたことで、チームに通っていた強くて太い〝一本の筋〟が切れたと思う。緊張感がほどけてしまったんだ」

巨人軍はすぐさま再建に着手した。長嶋監督はコーチ陣全員の「留任」を希望したが、正力オーナーは許さなかった。長嶋監督を支えきれなかった関根ヘッドコーチの解任と宮田投手コーチの2軍降格を迫ったのである。この成績では球団主導の人事を受け入れざるを得ない。投手コーチは指導者として実績のある杉下茂(50)の招(しょう)聘(へい)が決まった。

問題はヘッドコーチだった。条件は①長嶋野球を理解し②選手の尻を叩き③チーム全体に睨みをきかせ④監督と選手のパイプ役を務められる人物。新聞各紙には連日、別所毅彦、広岡達朗、牧野茂、青田昇…と多くの名前が挙がった。だが、長嶋監督の頭には一人しかいなかった。それは王貞治である。

王は困惑した。巨人担当・蔵田先輩の直撃取材に王は苦しそうにこう答えた。

「選手一本の方がオレも助かるしチームのためになる。それは監督もわかってくれているはずだよ。それに、ことしウチがドン底の成績に終わったのは、監督やコーチのせいじゃない。オレが打てなかったのが一番の原因なんだよ」

でも、条件を満たし、監督と選手のパイプ役を務められるのはあなたしかいないのでは―と突っ込むと、王は考え込んだという。実はこの50年シーズン、王は世間で噂されていた「ON不仲説」をとても気にしていた。今度は形だけのコーチ要請ではない。本当に長嶋さんが助けを求めている。ここで再び断れば…。

10月24日、第2次長嶋体制が発表された。「無任所コーチ」、それが王の肩書だった。(敬称略)

■小林繁伝74

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