愛国心は日本人の専有物にあらず 『講義録』
全世界で約3700万人という戦死傷者を出して終結した第一次世界大戦の衝撃は深刻だった。戦後の1920年代、国際連盟の発足やワシントン、ロンドンにおける軍縮条約、パリ不戦条約の締結など世界は強く平和を希求していた。
しかし一方で、ソ連の建国以来、国際共産主義運動の指導組織、コミンテルンが使嗾(しそう)する労働争議が世界各地で激化。共産主義者による暴力革命の危険が高まった。並行して中国における排日運動も激化し、漢口事件、済南事件などに代表されるような日本人に対する略奪や暴行、陵辱、殺害が横行した。アメリカも中国市場の門戸開放を盾に、日本や欧州列強による中国権益の拡大を非難する一方で、自国は排日移民法を制定するなど矛盾した政策を進めた。
表面的な平和体制が築かれるほど水面下の政治工作が活発化し、机の上で握手しながら、その下では蹴り合うという陰険な時代がやってきたのである。
こうした中、大正デモクラシーを謳歌(おうか)する日本では議会政治を主体とする民主化が叫ばれるものの、誕生したのは華美で頽廃(たいはい)的な文化であった。永井荷風が「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」で活写したように、あちこちで倫理が崩壊し、教師の淫行や学級崩壊などが社会問題化した。
この状況に強い危機感を覚えていたのが帝国陸軍である。というのも第一次世界大戦は従来の戦争とは異なり、これまで歴史上の戦争に投入された銃弾を1日で使うほど苛烈で、長期戦であった。これにかんがみれば兵器や兵隊ばかりでなく、兵器を作る産業、兵士を養う農業、それらに携わる国民の精神性に至るまで、全てを計算しなければ戦争での勝利はおぼつかない。陸軍はいち早く、このように考えた。