小林繁伝

苦節25年、優勝へ燃えた「赤ヘル軍団」 虎番疾風録其の四(72)

初優勝を果たし〝美酒〟を浴びる広島の古葉監督(中央)。右は山本浩、左は衣笠=昭和50年10月
初優勝を果たし〝美酒〟を浴びる広島の古葉監督(中央)。右は山本浩、左は衣笠=昭和50年10月

優勝マジックを「1」とした古葉広島は10月15日、運命の巨人戦を迎えた。後楽園球場のスタンドは「赤ヘル」に埋め尽くされ、三塁側ベンチの上では広島からやってきた応援団長らが正座し、王の打席を迎えるごとに声を張り上げた。

「王さ~ん、今日だけは打たんでつかぁさい。あしたからはなんぼ打ってもええけぇ」


◇10月15日 後楽園球場

広島 000 010 003=4

巨人 000 000 000=0

(勝)外木場20勝13敗 〔敗〕新浦2勝11敗

(本)ホプキンス(32)(高橋一)


午後5時18分、ついにその瞬間を迎えた。グラウンドに数千人のファンが殺到。古葉監督を胴上げ。担ぎ上げてグラウンドを練り歩いた。

「この優勝は私たちだけのものではありません。これまで球団に関わったすべての人たちのものです」

古葉監督が喜びの声を張り上げた。

昭和24年、原爆で打ちひしがれた県民に希望の光を与えようと地元有力者が「県民市民一体の球団」として設立。セ・リーグに加盟した。だが、お金がない。加盟費も払えず遠征費も連盟に借りた。何度も襲った「解散」の危機を石本監督発案の〝樽(たる)募金〟で乗り切ったのは有名なお話。まさに苦節25年―。

後半戦、広島は阪神、中日と激しい優勝争いを演じた。大きな「事件」が起こった。9月10日、広島球場での中日25回戦。広島は2―5で迎えた九回、2点を返しなおも2死二塁。ここで山本浩が中前安打。二塁走者の三村は猛然と本塁を突いた。捕手・新宅の出したミットが三村の顎に当たり、三村が吹っ飛んだ。三村がつかみかかる。両軍選手がベンチから飛び出す。

そのときだ。興奮した広島ファンがグラウンドへなだれ込み、中日ナインに襲いかかった。逃げ遅れた大島が顔を殴られ、星野仙が左足首を捻挫。中日の選手、コーチ9人が負傷した。

広島は翌11日の中日26回戦を「自主警備に自信が持てない」と中止を発表。重松代表は「これまで一生懸命やってきたのに…」と両手で顔を覆った。

古葉監督以下選手たちはこのとき、「オレたちは優勝しなきゃいけないんだ」と強く思ったという。「赤ヘル軍団」は燃えた。翌12日から6連勝。そして優勝が決まる10月15日まで、なんと14勝2敗2分けで突っ走ったのである。(敬称略)

■小林繁伝73

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