今年は日中国交正常化50周年である。この話題を新聞・メディアに見ることは、ほとんどない。やはり今年2月に勃発したロシアのウクライナ侵攻のせいだろうか。
1972年9月29日、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相は北京で共同声明に署名、「恒久的な平和友好関係を確立する」ことで一致した。そしてその6年後、日中「平和友好」条約を締結し、現在にいたっている。
当時はパンダ来日もふくめ、たいへんな騒ぎだった。しかし現代日本はあげて嫌中のさなか、そんな節目など、もうどうでもよいのかもしれない。
ウクライナ問題の脅威は、日本にもひしひしと感じられる。いかに欧米のような直接喫緊の重大事ではなくとも、近隣の極東ロシアないし中国につながってこないはずはない。その事態・局面こそ、日本人にとって重要だろう。
こうした観点からすると、報道は東西バランスを欠いていないだろうか。もとよりウクライナ問題で中国に関する記事は、ロシア寄りの姿勢や利害関心など、一再ならず論及はある。けれども時局・事象として述べるにすぎない。
なぜロシアがいまウクライナに侵攻したのか、しなくてはならなかったのか。ひととおりの説明はあっても、いずれも一長一短、いわば隔靴掻痒(かっかそうよう)といわざるをえない。ウクライナとロシアの関係、とりわけ後者の武力侵攻は、台湾と中国の今後になぞらえる向きもあって、それなら日本の利害・対応も深く関わってくる問題であろう。新聞・メディアの指摘・究明は、そこに向かわなくてはなるまい。
いま日本が大陸中国を敵視し、台湾を友邦とみるのは、いわばあたりまえ、しかし半世紀前は必ずしもそうではなかった。日中国交「正常化」という表現にも、時代の雰囲気があらわれている。日中の交わりがないのは異常だったのであり、それを「正常化」するため、台湾と断交した。それが「正常」で、正当だったのである。
「正常」な50年で対立が次第に深まり、断交の半世紀はかえって絆を強めた。大いなる逆説ながら、そんな日本外交を長期的なスパンで検証しなくてもよいのだろうか。
日々記事にせよ、とはいわない。せめて節目くらいは来し方をふりかえり、得失を吟味してはどうかと思うのである。
「正常化」の記念日は来たる9月、報道や世情はどうなっているだろうか。ウクライナ情勢の帰趨(きすう)次第でもあろう。そのさいあらためて書かねばなるまい。
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【プロフィル】岡本隆司
おかもと・たかし 昭和40年、京都市生まれ。京都大大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に「『中国』の形成」など。