愛媛県の最北端に位置する芸予諸島最大の大三島は古来、日本総鎮守とも呼ばれた大山祇神社が鎮座する「神の島」で、厳粛な雰囲気をまとう。
大山祇神社のご祭神は大山積神で、山、海、戦の神として、歴史上の名だたる人物が崇敬してきた。719年に現在地の宮浦(今治市大三島町)へ移され、それ以前は瀬戸(同市上浦町)にまつられていたと伝わる。
伊予国の豪族の河野氏は、大山祇神社の氏子だった。平安時代末期の源平合戦では、河野通信が壇ノ浦の戦いで三島水軍を率いて源氏側に付き、勝利に大きく貢献した。蒙古襲来の弘安の役では、河野通有が水軍を率いて夜襲をかけ、武功をあげている。
大山祇神社の境内にある宝物館には、戦勝のお礼にと、河野通信が奉納した「紺絲威鎧・兜・大袖付」をはじめ、源平合戦で大勝を収めた源義経が奉納した「赤絲威鎧・大袖付」、鎌倉時代に源頼朝が奉納した「紫綾威鎧・大袖付」など、全国の国宝と国の重要文化財の指定を受けた武具類の多くが保存展示されている。
また国宝の「禽獣葡萄鏡」は、7世紀半ばの白村江の戦いの前に、伊予国の豪族で大山祇神社の神職だった越智守興が勅命によって出陣する際、斉明天皇がご奉納されたという。
大山祇神社の三島安詔宮司は「先代の宮司によると、宝物館には収集や出土したものは一切なく、全て神社に奉納され大切に守られてきた本物。一つ一つがその時代のそれぞれの方の崇敬の証し」と話す。
社殿の後方には、鷲ケ頭山、安神山、小見山の三山があり、境内には樹齢約2600年と伝わるご神木のクスノキがある。また、神に供えるコメを栽培する斎田が現在も残り、御田植祭と抜穂祭では、神様の使いである稲の精霊と3番の相撲をとる「一人相撲」(愛媛県の無形民俗文化財)の神事も継承されている。
大山祇神社が鎮座する宮浦は、江戸時代に松山藩が神社の門前町として開発した。かつては船で参詣に来る人が多く、瀬戸内海に面する場所には一の鳥居が立つ。そこから神社までは参道とされ、旅籠や豆腐屋など100軒ほどの店が並びにぎわっていたという。現在はシャッターを下ろす店が多いが、ここ数年、新しい飲食店や宿泊施設などが増えている。また、「御島ガイドの会」のボランティアガイドが神社とその周辺の案内も行っている。
過疎化と高齢化は進むが、「大山祇神社と参道の風景を見て住みたいと思った。参道を盛り上げたい」という移住者もおり、神社を中心とした地域の発展と伝統文化の継承が期待される。
◇
■アクセス 今治港(愛媛県今治市)と忠海港(広島県竹原市)から船が運航。しまなみ海道を通ってバスや車でも。
◇
■プロフィル
こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。