救急車やパトカーが続々と到着し、騒然とする校舎=平成13年6月8日午前10時59分、大阪府池田市の大教大付属池田小(本社ヘリから)
救急車やパトカーが続々と到着し、騒然とする校舎=平成13年6月8日午前10時59分、大阪府池田市の大教大付属池田小(本社ヘリから)

児童8人が死亡、教員を含む15人が重軽傷を負った平成13年6月の大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で21年を迎える。あの日、現場で何があったのか。そして、事件が意味するものとは何だったのか。産経ニュースのアーカイブ記事から振り返る。

何が起こったのか

産経新聞は、池田小が事件後5カ月時点でまとめた文書「学校の教育責任に関する反省点」に添付された当時の教職員ら26人の「事件時の行動と反省」(計60ページ)や、宅間守元死刑囚=16年9月執行、執行時(40)=の刑事裁判で証拠採用された教職員ら20人の供述調書などを入手。当時の状況を改めて検証した。

校内に34人の教職員 わずか4分 防げなかった凶行のイメージ

どんな犯人だったのか

事件を引き起こした宅間守元死刑囚。多数の前科前歴があり、精神科への入院歴もある自分が衝撃的な事件を起こせば、関わった人間はきっと深い苦しみを味わう。そう考えた元死刑囚は大量殺人を起こす計画を立てた。

宅間元死刑囚「私を野放し、後悔すればいい」のイメージ

その後、学校は

池田小の校舎は、事件後、全面的に改築された。

改築に当たっては、遺族や保護者も加わる「校舎設計諮問会議」を設置。正門と校舎の間にある体育館が死角を作っていたことや、負傷した児童が最大20分間も放置されるなど、学校全体としての事件の把握が遅れたことなどを踏まえ、「安全な学校づくり」を目指して協議を重ね、設計に意見を反映させた。

赤外線センサーやガラス張り職員室 防犯設備手厚くのイメージ

会員限定記事会員サービス詳細