池田小事件21年

「命救えたかも」後悔を教訓に 当時1年担任、校長の今も安全に全力

大阪教育大付属池田小で1年の担任だった当時に起きた事件を振り返る小林弘典さん=2日、大阪府池田市(安元雄太撮影)
大阪教育大付属池田小で1年の担任だった当時に起きた事件を振り返る小林弘典さん=2日、大阪府池田市(安元雄太撮影)

ぐったりとした児童に血まみれの同僚-。8人の幼い命と学校の日常が理不尽に奪われた大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件から8日で21年。当時1年の担任だった小林弘典さん(53)は、惨事を目の当たりにしながら1人でも多くの命を守ろうと奔走した。「学校の安全は当たり前ではないと強く実感するようになった」。悲劇が二度と繰り返されぬよう、別の小学校長となった今も事件の経験や教訓を伝え続けている。

「あの経験は一生忘れることはない」。当時、1年西組の担任だった小林さんは語る。体育館での授業が終わる前、血相を変えた教員2人が飛び込んできた。「早く子供たちを避難させて!」。何があったのか尋ねる余裕もなかった。慌てて子供たちを並ばせ、運動場へ出た。その瞬間、運動場わきの階段付近で力尽きた子供が教員に介抱されている様子が見えた。

一刻も早く子供たちの安全を確保しなければ命が危ない-。「ちゃんとついておいで」。困惑した表情を浮かべる西組の教え子たちに無我夢中で呼びかけ、運動場の校舎から離れた場所まで無事に避難誘導することができた。

その後、校舎へ駆けつけると血まみれで倒れている男性の姿が目に入った。児童たちに襲い掛かる男の凶行を止めようと体当たりし、切りつけられた1年南組の担任教諭だった。「何とかしないと」。止血のためとっさに手を伸ばし、気づいたときには自身の腕が真っ赤に染まっていた。

「何が起きたのか考える余裕もなく、状況を理解できなかった。とにかく命を守ろうという気持ちだけ。必死だった」

今でも後悔しているのは、池田小事件の1年半前に京都市の小学校で児童が男に刺殺される事件があったのに、敷地内の安全対策や教員同士の連携が徹底できていなかったことだ。「もっと早く対応できていたら早く搬送できて、落とさなくてもいい命を救えたのではないか」。悔やんでも悔やみきれない経験が小林さんを突き動かし、市教委時代は住民や保護者らが児童を見守る防犯小屋「安全ステーション」の設置などに尽力した。

事件から20年となった昨年、池田市立北豊島(きたてしま)小学校の校長に着任。今は自身の経験を現場の教員や児童に伝え、学校の安全対策に役立てることが使命だと考えている。

日々の学校生活などで気づいたことは職員会議などで具体的に指摘しているという小林さん。教室に不審者が侵入した際に備え、さすまたなど一定の距離を保つための防犯器具を置いたり、異常が起きたことを伝えるためのホイッスルを常に首から下げたりしている。「こうした対策を徹底することが大事。『ここまでしなくても』と思わず、一人一人が危機意識を高く持つことが重要だと思う」と強調する。

「子供に『おはよう』『さようなら』と毎日言えることは決して当たり前ではない」。事件から何年たとうとも、預かった子供たちの命、そして学校の安全を守る取り組みに全力を注ごうと考えている。(清水更沙)

大阪教育大付属池田小事件 平成13年6月8日午前10時10分すぎ、大阪教育大付属池田小の校舎に宅間守元死刑囚が侵入。包丁で児童らを次々と襲い、2年の女児7人と1年の男児1人が死亡、1、2年生13人と教員2人が重軽傷を負った。国と学校は安全管理の不備を認め謝罪。校門の施錠や防犯カメラの設置など、各地の学校で安全対策が強化される契機となった。元死刑囚は現行犯逮捕され、15年に死刑判決が言い渡された。元死刑囚が控訴を取り下げ刑が確定し、16年9月に執行された。

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