「紙の地図」に熱い視線が注がれている。本の街、東京・神田神保町の地図専門店には日々、愛好家らが訪れ、江戸時代の古地図や絵図を片手に楽しむ街歩きはレジャーの一つとして定着、大手旅行会社も全国でツアーを展開する。千代田区が、区の発足間もない75年前の地図を復刻し、希望者を募ると、用意した数の20倍近い応募があった。デジタルが社会を席巻する中、アナログの地図が多くの人々を魅了している。
「紙の地図は、刷られた頃のリアリティーが感じられることが魅力ですね」
神保町随一の地図専門店として知られる秦川堂書店の4代目店主、永森進悟さんはこう語る。
店内には時代を問わず、国内外の地図や史料が所せましと並ぶ。主な顧客は研究者や愛好家だが、近年は新たな層も訪れつつあるという。
「ある学生グループが、戦後間もない頃の名所マップを探されていた。聞くと、『東京から横浜まで街の変化を確かめながら歩くんだ』といわれた。面白いことを考えますよね」
永森さんが応対したグループのように、地図とともに街歩きを楽しむ人々は増えている。
阪急交通社では平成28年以降、江戸時代の古地図などを見ながら街歩きを楽しむ日帰りツアーを催している。担当者によると「シリーズ化し、東京のほか、名古屋や京都など全国各地で企画されるほどの人気だった」という。
新型コロナウイルス禍で、一旦休止していたものの、今年4月以降、都内に点在する「坂」をテーマにしたものや、ガイドが江戸時代の町人にふんして案内するといったツアーを販売し、多くの申し込みがあるという。
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古地図などは資料館や公文書館などでデジタル化され、閲覧できるものが多い。ツアーでそれらを活用することもしばしばある。
一方、永森さんは専門家として「膨大な資料や個人のコレクションの中で、埋もれたままになっている地図は多い」と指摘する。
実際、秦川堂の店内にも多くの〝お宝〟が眠っている。日本地図株式会社が発行した戦後間もないころの「東京都区分図 千代田区詳細図」はその1つだ。
先の大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に接収された丸の内地区の第一生命館には、「最高司令部」とあり、大手町近辺にはGHQの広大な「モータープール」(駐車場)があったことが分かる。霞が関に目を転じると、かつて人事院ビルがあり、現在は中央合同庁舎第2号館となった場所には「内務省」と記されている。区画整理や再開発で姿を消した路地や鉄道駅なども細かく描かれる。
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発行年は東京市麹町区、神田区の2区が合併し、千代田区が生まれた昭和22年だ。特別区政施行75周年を記念する事業の構想を練っていた区職員が秦川堂を訪れた際、偶然発見した。担当者は「当時の街の様子が分かる貴重な資料だ」と興奮を隠さない。
千代田区は当時の紙質を再現し、さらに現在の地図を裏面に印刷した地図を製作した。これを「区制75周年記念マップ」として200人分を用意し、希望者を募ると、区内外から3399人もの応募があった。
この高い人気を受け、区では急遽(きゅうきょ)、広報紙「広報千代田」6月5日号に、75年前の地図を折り込むことを決めた。発行部数は5万2千部で、区内の全戸に配布するほか、図書館や区内の主要駅などで手に取れる。
日々、地図の発掘を続ける永森さんは、紙の地図が持つ魅力をこう強調する。
「スマートフォンなどを使ってみるデジタルの地図と違って、アナログの紙の地図には、えも言えぬ〝匂い〟があるんですよ」
(中村雅和)