主張

重信房子氏の出所 彼女はヒロインではない

昭島市内の公園での記者会見を終え、公園を出る重信房子元最高幹部(右から2人目)=28日午前、東京都昭島市(桐原正道撮影)
昭島市内の公園での記者会見を終え、公園を出る重信房子元最高幹部(右から2人目)=28日午前、東京都昭島市(桐原正道撮影)

世界各地でテロ事件を繰り返した「日本赤軍」の重信房子元最高幹部が20年の刑期を終え、出所した。いわゆる全共闘世代には郷愁を誘われる存在なのだろう。出所を扱う多くのニュースが「時代の象徴の生還」といった趣で報じた。

だが、彼女は決して時代のヒロインではない。改めて彼女が率いたテロリスト集団による、血塗られた凄惨な歴史を記憶すべきである。

しかも出所に当たって配布した文書には「自分が『テロリスト』と考えたことはありません」「過ちはありつつも、世の中をよりよく変えたいという願い通りに生きてこられたことをありがたいと思っております」とつづっており、真の反省はみられない。

1972年5月30日、テルアビブのロッド国際空港(現ベングリオン国際空港)で共産主義者同盟赤軍派の活動家だった奥平剛士ら日本人3人が自動小銃の乱射で約100人の乗客らを殺傷し、空港は血の海と化した。事件後、彼らは「ジャパン・レッド・アーミー(日本赤軍)」を名乗った。

パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と連帯した彼らはその後も日航機のハイジャックや誘拐、襲撃事件を繰り返した。

日航機「よど号」を乗っ取って北朝鮮に渡り、日本人拉致事件への関与も明らかになった「よど号グループ」や、山岳ベースでの大量殺人やあさま山荘籠城事件の連合赤軍も共産同赤軍派から分派した同根の組織である。

2000年に潜伏中の大阪府高槻市内で逮捕された重信氏は服役中の09年6月に産経新聞の取材に答え、「運動が行き詰まったとき私たちは武装闘争に走った。ふるさとには家族や友人がいる。行き過ぎがあればいさめてもらえるし力にもなってもらえる。私たちもふるさとに戻って運動を続けていれば変わった結果になったかもしれない」と述べた。言葉からうかがえるのは、甘えだけである。

出所の際の取材に重信氏は、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説に議員らが立ち上がって拍手した場面をとらえて「一つの方向に流れているんじゃないか。国民がそうでなくとも、政治家が一方向に流れているなというのが実感」と述べた。

こうした発言は、必ず一定の勢力に利用される。今後の動向も注視を怠ることはできない。

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