昭和47(1972)年6月11日、「日本列島改造論」が世に出た。策定したのは、次の首相に意欲を見せる通商産業相、田中角栄。改造論は瞬く間に世間を席巻したものの、「土建国家」を目指したという負のイメージが強調されてきた。しかし、田中の真の目標は別にあった。
田中は、改造論を発表した1カ月後の7月7日、当時最年少の54歳で首相の座を射止める。同年10月28日、就任後初の国会演説である所信表明を行い、日中国交正常化を実現させた高揚感が冷めやらないまま、列島改造論に言及した。
「日本列島の改造は、内政の重要な課題であります。明治以来百年間のわが国経済の発展をささえてきた都市集中の奔流を大胆に転換し、民族の活力と日本経済のたくましい力を日本列島の全域に展開して国土の均衡ある利用をはかっていかなければなりません」