「武装斗争路線間違っていた」重信元最高幹部の手記全文

重信房子元幹部がマスコミにあてた「再出発にあたって」の写しの1ページ目(松井英幸撮影)
重信房子元幹部がマスコミにあてた「再出発にあたって」の写しの1ページ目(松井英幸撮影)

日本赤軍が1974(昭和49)年、オランダ・ハーグの仏大使館を占拠した「ハーグ事件」などで、殺人未遂罪などで服役していた日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)が28日午前、懲役20年の刑期を終えて出所した。重信元最高幹部は同日、出所にあたり、「再出発にあたって」と題した手記と、メディアから受けた質問に対する回答を発表した。

「再出発にあたって」の全文は以下の通り。

重信房子元幹部がマスコミにあてた「再出発にあたって」の写し(松井英幸撮影)
重信房子元幹部がマスコミにあてた「再出発にあたって」の写し(松井英幸撮影)

再出発にあたって

重信房子


私は本日5月28日、懲役20年の刑期を終了致しました。

これから社会へ戻り再出発致します。

これまでに、いくつかの取材要請を頂いておりますので、簡単ではありますが、ここに一言御挨拶申し上げます。


新しく社会に参加するにあたって、まず私の逮捕によって被害を受け、御迷惑をおかけした方々に謝罪致します。

また、すでに半世紀にもなろうとする過去のこととは言え、私や、日本赤軍の斗いの中で政治・軍事的に直接関係の無い方々に、心ならずも被害や御迷惑をおかけしたこと、すでに述べて来ましたが、ここに改めて謝罪します。

革命の「正義」や「大義」のためなら、どんな戦術をとってもかまわない、そんな思いで70年代斗い続けました。

こうした自分たちを第一としている斗い方に無自覚でもあり無辜の方々にまで、被害を強いたことがありました。

すでに軍事と国際主義を特性として斗ってきた日本赤軍は2001年に解散しております。

かつてのあり方を反省し、かつ、日本をより良く変えたいという願いと共に謝罪の思いを、私自身の今日の再出発に据えていく所存です。

また、この再出発の機会に、謝罪と共に感謝も伝えたいと思います。

この長い獄中生活の間、変わらぬ暖かい友情と連帯で裁判の証人としても支えて下さったパレスチナ、海外、日本の友人たちに感謝と連帯の挨拶を伝えます。

そして逮捕以来、公判から現在に至るまで獄中の私を励まし共に歩んで下さった大谷恭子先生をはじめとする弁護士の方々、救援活動に携わり支えて下さった方々に深く感謝申し上げます。

更に獄中で癌に罹患した私の治療に携わって下さった方々、4回の開腹手術で9つの癌を摘出し、命を助けて下さった大阪医療刑務所、八王子医療刑務所、東日本成人矯正医療センターの主治医ら医師・看護師・刑務官らスタッフの皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。

私は1971年2月28日、25才の時に日本を発ち、30年近く海外で暮らしてきました。そしてその後、21年7か月弱を獄中で過ごしてきました。

僭越な言い方かもしれませんが、過ちはありつつも、子供時代から願っていた世の中をよりよく変えたいという願い通りに生きてこれたことを、私自身ありがたいことと思っております。

半世紀以上も前になりますが、世界も日本も高揚の中で、反戦平和を訴える時代がありました。

ベトナム反戦・連帯の斗い、チェ・ゲバラの訴えた「二つ、三つ、さらに多くのベトナムを!それが合言葉だ!」に心動かされ、また大学の学費値上げ反対斗争に私は進んで参加しました。

そして、斗いの攻防の中でのいきづまりを武装斗争によって活路を求めようとした共産主義者同盟赤軍派に私も加わりました。赤軍派は、斗い、失敗を重ね、弾圧の中で、うまく斗うことが出来ませんでした。「武装斗争路線」が間違っていたからです。でも当時はそう考えませんでした。武装斗争は組織の結集軸であったので、その路線を疑うよりも、更に斗うことによって解決しようと「決意」で乗り越えようとしました。

私も、そのうちの一人です。そしてもっとよく斗うために、世界の抑圧された人々と連帯し、世界も日本も、より良く変えたいと、更に武装斗争路線を堅持して、パレスチナ解放斗争にボランティアとして参加しました。

以来、パレスチナ解放斗争の人々、又、パレスチナ戦場に連帯する各国の革命を求める人々と出会い、学びながら、いろいろなことに気付かされながら生きて来ました。武装斗争ばかりか、パレスチナの人々の平和的・非軍事的生存の斗い、命を大切にし、人々が助け合っている姿に解放斗争の源泉があることも学びました。自分が日本で活動していた時、人々の社会生活を知り、人々と共に結び合うような斗いをしてこれなかった過ちを、武装斗争の現場で逆に学んでいきました。私自身の経験や教訓は、語れる範囲で記してきましたが、ここでは長くなりますので略述します。取材を求められておりますことにつきましては、今後、語れる範囲で真摯に答える機会を持つことも考えたいと思っています。


私が獄中に20年以上過ごしている間に、世界も大きく変わりました。ことに、2001年に米国で起きた「9・11事件」は、今日を決定づけていると思います。当時のブッシュ政権は「9・11事件」に対して犯罪として司法で裁く解決の道を選ばず、「反テロ」戦争の名で戦争と暴力のパラダイムを選択しました。私の暮らしたイラクをはじめ中東は米軍による民間人の殺害・拷問・難民の発生と、今もその被害は何十万人何百万人に及びながら、米軍による戦争犯罪は裁かれず、被害を受けた人々は痛みと困窮から抜け出せずにいます。

21世紀を戦乱と難民の世紀へと転じてしまいました。

このパラダイムのひとつの帰結として、ウクライナに対するロシア軍の侵略と、NATOの武器供与が局地戦を激化させているように思います。ウクライナの人々を犠牲にしたままに。

また、この20余年の間、人間も自然も市場に投げ入れたグローバル資本主義の中で環境破壊や格差の極端な広がりが生まれています。コロナパンデミックはそれらと無縁とも思えません。

ITやAI、加えてコロナ社会の「新しい生活様式」も、私は、まだ経験しておりません。

その上、出所を前にして、内視鏡検査で再び厄介なポリープが発見され、出所後の専門医による治療が再び必要になってしまいました。

社会に戻り、市民の一人として、過去の教訓を胸に微力ながら何か貢献したいという思いはありますが、能力的にも肉体的にも私に出来ることは、ありません。

まずもって、治療と、リハビリに専念する中で、世界・日本の現実を学び「新しい生活様式」を身につけたいと思っています。

そして、求められれば、時代の証言者の一人として、反省や総括などを伝えることを自らの役割として応えていくつもりです。


以上取材要請を頂きました方々に対して、出所にあたっての私自身の心境をお伝えし、御挨拶と致します。


2022年5月28日朝

(原文のまま)

「自分が『テロリスト』と考えたことない」重信元最高幹部の質問回答全文

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