日本赤軍、今も7人逃亡 重信元最高幹部28日出所

1970年代、空港での銃乱射など数々の国際テロを起こしたとされる「日本赤軍」で最高幹部を務めた重信房子受刑者(76)が28日に20年の刑期を終えて出所する。世界各地でテロを繰り返し、世界を震撼させた日本赤軍とは、どのような組織だったのか。

各地で学園紛争が激化していた昭和40年代、先鋭的な武装闘争を展開していた「共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)」の一部のメンバーは、日本革命のために海外に軍事拠点を確保し、軍事訓練を積んで日本に再上陸、武装蜂起するという「国際根拠地論」を掲げ、45年3月に、日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った。

赤軍派の幹部だった重信受刑者らも46年2月、アラブに根拠地を建設するとしてレバノンに渡り、反イスラエル急進派「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」と接触し、「赤軍派アラブ支部」を創設した。

1972(昭和47)年、イスラエル・テルアビブのロッド空港(現・ベングリオン空港)で、岡本公三容疑者(74)ら3人が無差別銃乱射事件を起こし、直後の犯行声明で初めて「日本赤軍」を名乗った。

日本初の国際テロ組織として認知され、世界各地でハイジャックや欧米の在外公館を武装占拠するなどのテロに関与。人質を取り、日本国内で服役、勾留中の日本赤軍や赤軍派の関係者を奪還する手法を取った。

75年には、在マレーシア米国大使館を襲撃したクアラルンプール事件を起こし、あさま山荘事件で逮捕された坂東国男容疑者(75)ら5人が超法規的措置で釈放され、国外に逃亡。77年に日航機をハイジャックしたダッカ事件では、連続企業爆破事件で逮捕された大道寺あや子容疑者(73)ら6人を釈放させた。

その後、冷戦終結などを契機に国際テロリストを公然と保護する国が激減。平成7年以降はメンバーの拘束が相次いだ。12年には重信受刑者が国内で逮捕され、13年に日本赤軍の解散を宣言。現在も岡本容疑者や坂東容疑者らメンバー7人が国際手配されている。

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