主張

国民審査判断 憲法のあり方考える機に

海外に住む日本人が最高裁裁判官の国民審査に参加できない現状について、最高裁大法廷は「違憲」と初判断を下し、国会の立法不作為にも踏み込んだ。

最高裁の判断は極めて妥当である。憲法が国民の権利として公務員の選定や罷免を認め、最高裁裁判官罷免の可否は国民審査が決めると明記していることに照らし合わせれば、違憲以外の判断はあり得なかったろう。

最高裁は平成17年、8年当時の衆院選で在外選挙権が認められなかったことを「違憲」と判断し、翌年の公職選挙法改正で在外選挙制度の対象を広げた。19年には憲法改正の国民投票の投票権を海外に住む日本人にも認める国民投票法が制定された。

最高裁裁判官の国民審査のみが置き去りとされた現状は、国会の立法不作為と断じられても仕方がなかった。国会は、次の国民審査が行われる次回の衆院選に向けて国民審査制度を改めなくてはならない。

憲法79条は「最高裁判所の裁判官の任命は国民の審査に付す」「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免される」と規定し、15条は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定めている。

国は訴訟の中で、国民審査は選挙とは異なり、「議会制民主主義において不可欠な制度とはいえない」と述べたが、憲法の条文を読めば、いかにも無理筋な主張であるといえた。

ただ、国民審査そのものが形骸化し、国民の関心が低いことも事実である。最高裁の裁判官15人は任命後初の衆院選と10年が経過した後の初の衆院選に合わせて行われる国民審査で、辞めさせたい裁判官の欄に×印を記入し、有効投票の過半数に達すると罷免される。昭和24年の第1回以来、罷免された例は一度もない。

現行憲法下での「違憲」は当然としても、国民審査が本当に必要かどうかは、まず憲法を疑わなくてはならない。

産経新聞は平成25年4月、憲法改正案「国民の憲法」要綱を公表した。この中で、国民審査制度は形骸化しているため廃止する、としている。憲法が社会や時代と乖離(かいり)すれば見直す必要が生じる。今回の違憲判断は、憲法のあり方を考える機会ともなる。

会員限定記事会員サービス詳細