日本の敗戦当時、米英側の日本理解はどの程度であったか、再考したい。
『源氏物語』の英訳が一九三三(昭和八)年に完結したとき、訳者ウェイリーは日本語を独学したと評判となったが、学ぼうにも、英米には本格的に日本語を専門に学ぶ日本語学校はなかった。
「神道はナチズム」と断罪
その程度の日本理解の西洋だが、米国の偉さは一九四三年、勝利の見通しがつくや、戦後の日本処理準備を始めたことだ。国務省のボートンらは、当時、最高の日本通といわれた日本勤務三十七年、日本史家でもある、駐米英国公使サンソムの意見をまず聴いた。