一聞百見

「体」「頭」「心」を見極める G大阪元スカウト 二宮博さん

バリュエンスホールディングスの大阪オフィスがあるグランフロント大阪を背に立つ二宮博さん。「子供たちの夢をかなえさせたい」という=大阪市北区(柿平博文撮影)
バリュエンスホールディングスの大阪オフィスがあるグランフロント大阪を背に立つ二宮博さん。「子供たちの夢をかなえさせたい」という=大阪市北区(柿平博文撮影)

サッカーJリーグ1部(J1)のガンバ大阪で27年にわたって選手の発掘に携わり、「伝説のスカウト」と呼ばれた二宮博さん(60)。「子供たちに自信を持たせ、大きな夢をかなえさせたい」。多くの逸材を育ててきた原点には、中学校の教員だったころから抱き続ける思いがある。

――日本代表のエースとして君臨した本田圭佑選手をはじめ、今もチームを支える宇佐美貴史選手や昌子(しょうじ)源選手、さらに海外チームで活躍する堂安(どうあん)律選手(オランダ1部PSV)や鎌田大地選手(ドイツ1部アイントラハト・フランクフルト)ら、錚々(そうそう)たる選手の育成にかかわりました

二宮 ガンバの育成組織の指導力は、日本のトップクラス。ベースはそこにある。でも、最終的に道を切り開いていくのは本人の努力です。スカウト部長を務めた後、選手のマネジメントを長く務めてから実感できたことですが。

――東京五輪の日本代表として、献身的なプレーが評価された林大地選手(ベルギー1部シントトロイデン)もガンバ大阪のジュニアユース出身です

日本代表として東京五輪に出場した林大地選手(中央)も、二宮さんが携わった選手の一人だ=令和3年7月、埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)
日本代表として東京五輪に出場した林大地選手(中央)も、二宮さんが携わった選手の一人だ=令和3年7月、埼玉スタジアム(撮影・蔵賢斗)

二宮 20人の中学生が所属するジュニアユースは、半分の10人しか上部組織のユースチームに昇格できません。ジュニアユース時代の林選手はレギュラーを確保できず、ユースには上がれませんでした。しかし、何事にも手を抜かず、一生懸命プレーをする。そこで本人の希望も聞き、履正社高校の監督に紹介しました。高卒でプロへ進む選手もいますが、林選手は大阪体育大学に進学し、サガン鳥栖に加入してプロになった。まさに遅咲き、まさに大器晩成です。

――スカウトとして、若いプレーヤーのどの部分を重視していましたか

二宮 サッカーの技術はもちろんですが、「体」だけでなく「頭」と「心」もみる。プロになるという、大きな夢に向けてしっかりと進めるよう、考え方や心の強さも重視します。

――サッカー技術の高い選手を見いだすことだけに注力しているのかと思っていました

二宮 サッカーだけを教えるのなら、それはもう「塾」でしかない。プロになってもならなくても、社会に出てから活躍できるような秀でた人間を育てたい。それはクラブ全体の方針でもある。プロになれるのはほんの一握り。夢をかなえてプロになっても、やめてから後の人生の方がはるかに長いですから。そういう考え方は、保健体育の教師を10年間してきた経験があるからこそ、持てたのかもしれません。

プレーヤーズファースト貫く

サッカー界で「伝説のスカウト」として名をはせた二宮博さん。Jリーグ1部(J1)ガンバ大阪での27年に及んだキャリアからうかがえるのは、徹底した「プレーヤーズファースト」の意識だ。育成組織でサッカー漬けの日々を過ごしても、プロとして大きく羽ばたける選手は一握り。現役を退いた後のセカンドキャリアを力強く生き抜いていけるよう、人間育成の方針を貫いてきた。

――そもそも、どうして教師からガンバ大阪のスカウトに転身されたのですか

二宮 保健体育の教師を務め、サッカー指導者のA級ライセンス取得を目指していました。Jリーグがスタートする時期のことです。大好きなサッカーにもっと専門的にかかわっていく世界に、思い切って身を投じたいと思いました。

――スカウトというと、元選手が担当しているイメージがあります

「あくまでも、道を切り開いていくのは選手自身。できるだけフォローしていきたいと思ってきた」と話す二宮博さん=大阪市北区(柿平博文撮影)
「あくまでも、道を切り開いていくのは選手自身。できるだけフォローしていきたいと思ってきた」と話す二宮博さん=大阪市北区(柿平博文撮影)

二宮 ガンバに入社したてのころ、周りは元日本代表など名の知れたスカウトばかりでした。同じことをしていたら勝負にならない。とにかく試合会場に多く足を運び、名前を覚えてもらう。早い段階から優秀な選手をスカウトすることができて運がよかったな、と思うこともありました。全くの無名だった播戸(ばんど)竜二選手(現WEリーグ理事)をスカウトしたことは自信になりましたし、「他のスカウトにはできない」と高く評価していただきました。

――播戸選手のどこが目に留まったのですか

二宮 近畿大会のある試合。強豪校の監督と知り合いだったことから足を運んだのですが、播戸選手は対戦相手の姫路市立琴丘高校の主将でした。当時は全くといっていいほど無名。ただ、体が小さいのに、同じ年代の中でもとりわけ強いファイティングスピリットを感じました。それからは試合に足しげく通って入団にこぎ着けたものの、最初は練習生契約。本人も悔しかったと思います。そこから日本代表にまで上り詰めた。やはり、道を切り開いていくのは選手自身なんです。私にとっても非常に重要な出会いでした。

――トップチームのスカウト経験を生かし、さらに若い年代の選手の育成に携わってきました

二宮 下部組織のアカデミーでは、人間としても育てるという方針を立てていました。アカデミー本部長として、高校生年代のユースチームに進んだ選手については、きちんとした教育環境、生活環境のもとでサッカーに取り組めるよう、追手門学院高校(大阪府茨木市)と提携しました。保護者の方も安心して子供を預けていただける。選手にとっても、プロになる夢をかなえる確率を上げることにつながります。

――選手の教育環境を整備するほか、ユースに昇格できずガンバを離れることになった選手には、培った人脈を生かして高校を紹介されてきました。こういった話を聞くと、人間としての成長を重視していることがよくわかります

二宮 「ガンバ大阪に行けば、最後までフォローしてくれる」という育成システムを築きたかった。ガンバ以外の道に進むことになった選手でも、がんばって成長してまた戻ってきてほしい。高校生や大学生を対象としたスカウトから小中学生の育成まで、幅広くかかわるのは特異なケース。私のような人間は少ないかもしれません。

自信持てる若者を育てたい

プロのサッカー選手になりたい、という夢を持った若者をサポートしてきたことで、多くの人との「縁」が生まれる。その「縁」によって、自らが見いだした人と運命的に出会い、新たなチャレンジの道を歩み出した。

――スポーツ選手の人生にとって、サポートしてくれる周りの環境がいかに大切か、ということがよくわかります

二宮さんが見いだした播戸竜二選手。全くの無名だった高校生は大きく飛躍し、日本代表にまで上り詰めた=平成20年
二宮さんが見いだした播戸竜二選手。全くの無名だった高校生は大きく飛躍し、日本代表にまで上り詰めた=平成20年

二宮 播戸(ばんど)竜二選手(現WEリーグ理事)は「二宮さんが見つけてくれなかったら、今のぼくはなかった」と言ってくれました。選手、保護者の方とよく話し合って、意向を確認して、尊重して、教育的理念を持ってフォローしていく。そういう人生でした。サッカーではなく、別の道へ進んだ元選手が、ガンバを応援しようとスタジアムに来て、私に声をかけてくれたこともあります。うれしいことです。

――ちょうど高校サッカーの世界で、ある強豪校の指導者側の暴力が問題となっています。「プレーヤーズファースト」の大切さを改めて感じます

二宮 自分自身で判断し、決断し、人生を進んでいけるよう、若者をサポートすることが最も大切。将来に向けて「自立」できるよう、育てていくことを考えているか。目先のチームの勝利しか見えていないのではないか。また指導者は、若い選手にとっては絶対的な存在でもある。情熱を持って指導することは大切ですが、若い選手から逆に学ぶことも少なくないはずです。チームの勝利イコール指導者の力量、という考え方を変えることも大切かもしれません。

――定年を前に、サッカーJリーグ1部(J1)ガンバ大阪を退職され、ブランド品の買取や販売事業を手掛けるバリュエンスホールディングスに転職されました

「これからも若い人に自信をもって人生を歩んでもらうよう、話をしていきたい」という二宮博さん=大阪市北区のバリュエンスホールディングス大阪オフィス(柿平博文撮影)
「これからも若い人に自信をもって人生を歩んでもらうよう、話をしていきたい」という二宮博さん=大阪市北区のバリュエンスホールディングス大阪オフィス(柿平博文撮影)

二宮 バリュエンスホールディングスの代表の嵜本(さきもと)晋輔さんは、私がスカウトしてガンバ大阪に入団した元Jリーガーです。その後ビジネスの世界に転身し、今は上場企業の代表になられた。ガンバ大阪のスポンサーにもなっていただいている。話をしていて「スポーツ界に貢献していきたい」という夢に、すごく惹(ひ)かれるところがありました。これまでの人生でも、初めて感じた魅力でした。嵜本代表のもとで、新しいチャレンジをしてみたい、と思いました。転職のことを決めた際には、本田圭佑選手から「星稜(高校)に行くときには、お世話になりました」と国際電話で言われました。企業を経営する、サッカーでスーパースターになる、人間はだれでも大きなポテンシャルを持っていて、努力次第で何かを成し遂げることができる、と改めて実感します。

――バリュエンスホールディングスの社外広報活動の一環として、約30の大学や高校で授業や講演を行っている。まだまだ伝えていくことがありますか

二宮 うまくいかないことがあっても、努力して、ときには自分の環境を変えてでも、道を切り開いていった若者がいる。人材育成論やキャリア論、リーダーシップ論など、話すテーマはさまざまですが、若い人に自信を持ってもらいたいと思っています。また自分自身がチャレンジしていくことが、バリュエンスホールディングスや嵜本代表への恩返しとなり、サッカー界、スポーツ界全体への恩返しにもなると考えています。(聞き手 総合企画室・広瀬一雄)

新たな職場で「チャレンジしていきたい」と話す二宮博さん=大阪市北区のバリュエンスホールディングス大阪オフィス(柿平博文撮影)
新たな職場で「チャレンジしていきたい」と話す二宮博さん=大阪市北区のバリュエンスホールディングス大阪オフィス(柿平博文撮影)

にのみや・ひろし 昭和37年生まれ。中京大卒業後、生まれ故郷の愛媛県で公立中学の保健体育教諭として10年間勤務。平成6年からガンバ大阪のスカウトとして選手の発掘、育成に携わり、育成組織であるアカデミー本部の本部長も歴任した。昨年、定年を前にガンバ大阪を退社し、自らがスカウトした元Jリーガー、嵜本(さきもと)晋輔氏が代表を務め、主にブランド品の買取や販売事業を手掛けるバリュエンスホールディングスに入社。スポーツ関連事業に携わるほか、関西の大学や高校で講演活動を行っている。


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