消えかかった白虎、カビの繁殖…。高松塚古墳(奈良県明日香村)の壁画劣化が明らかになり、文化庁の管理体制などが社会問題化していた平成17年、30代半ばで東京芸大助手から同庁に入ったのが建石徹さん(53)だった。国内初となる壁画の描かれた石室の解体や、国宝壁画の修復という困難な国家的プロジェクトに入庁直後から挑み、10年以上携わった。現在は東京文化財研究所の保存科学研究センター長として全国の文化財保存を担う。「高松塚の経験を他の遺跡に生かすのが役目」と話す。
壁画保存「八方ふさがり」
「壁画保存をしっかりやってほしい」。日本画家で東京芸大学長だった平山郁夫さん(故人)は、同大から文化庁に移ることになった建石さんにひときわ思いを込めて語った。昭和47年の壁画発見後、「飛鳥美人」の模写を担当したのが平山さんだった。「平山先生は、美しかった壁画が劣化してとても心配しておられた」と振り返る。
東京芸大では、平山さんのもとで中国・敦煌(とんこう)莫高窟(ばっこうくつ)壁画、アフガニスタン・バーミヤン石窟の壁画調査や保存に取り組んだ。こうした経験から、同庁の高松塚壁画担当として白羽の矢が立った。
着任は平成17年4月1日付。数日後には、高松塚古墳の石室内にいた。「不謹慎かもしれませんが」と前置きしつつ、「壁画を見てまず思ったのは、きれいだなあということ。そして、こんなに小さいのかと」。