千利休の門弟の一人とされる戦国武将に現在の大阪府北部や兵庫県東部にあたる摂津国を治めた荒木村重(むらしげ)がいる。村重は天正6(1578)年、石山本願寺との紛争の最中にあった主君の織田信長に反旗を翻した。信長は村重の拠点、有岡城(兵庫県伊丹市)を攻撃。1年近くの攻防を舞台に描かれたのが、米澤穂信さんの直木賞受賞作「黒牢城」だ。有岡城は落ち、村重は毛利氏の支援で生き延びたが、妻子ら一族郎党は見せしめのため惨殺されたと伝わっている。
村重は後に剃髪(ていはつ)。本能寺の変で信長亡き後、大阪に戻って秀吉に仕えた。茶の道に入り、千利休のわびさびの枯れた世界を生き、後世、利休の高弟に数えられるまでの茶人となった。
「村重と利休は盛んに茶碗(ちゃわん)のやり取りをしていたことは茶碗の箱などに残る記録からも伝わり、近しい関係であったことはうかがえます」と、伊丹市文化財担当の中畔(なかぐろ)明日香さんは話す。ただ、明確に「師弟関係」をうかがわせる史料は確認できていない。