朝晴れエッセー

いつも相手がいた・5月23日

覚悟はしていたが愛犬との別れが来た。これまで何度もつらい別れを体験してきた。5年前、息子、夫を、ひと月に相次いで亡くした。身を切られるような厳しい別れを堪えた私を自分で強いと思ってきた。

だが、今度ばかりは違った。これまで耐えてきた堰(せき)が切れたのか、あふれ出した涙が何日たっても収まらないのだ。やがて、こんなにも悲しいのは思い出話のひとつも分かち合う相手がいないからだ、と納得すると同時に昔恩師から贈られた色紙の言葉が思い出された。

「話す時には相手がいる 喧嘩(けんか)するには相手がいる 笑う時にも相手がいる 生きてゆくには相手がいる」と書かれていた。本当にその通りだわと思い、そらんじているうちに、一人で生きてきたつもりでいたが相手がいてくれたことに気がついた。

思い起こせば愛犬がいつも傍らにいてくれた。朝夕の散歩、餌の用意、世話事は私の日々暮らしていく中で「生きてゆく相手」となってくれていたのだった。視力聴力を失い一日中寝てばかりの頼りなさではあったが、今、その姿も見られず気配さえも消えてしまった。今度こそ本当に一人。そう思うと寂しさが加わり、どうすればよいのかと思い巡らした。

しばらくしてはたと思い当たった。愛犬との別れは、生きていく相手は人だけではなく動物であってもなってくれるということを教えてくれたのではないか。そう、いまだ一人ではないと。この先は植物たちを相手に育てる喜びをもらい、つらいことはため込まず涙の栓も時々ゆるめて生きていこうと思うと気持ちが軽くなった。


金城月子(76) 大阪市天王寺区

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