浅草物語

伝統の三社祭 直前まで苦悩、3年ぶりの神輿に弾む掛け声

浅草神社の境内で、3年ぶりに宮神輿が担がれた三社祭=22日午前7時20分、東京都台東区浅草(岩崎叶汰撮影)
浅草神社の境内で、3年ぶりに宮神輿が担がれた三社祭=22日午前7時20分、東京都台東区浅草(岩崎叶汰撮影)

「エッサ! ソリャ!」

22日午前7時過ぎ、宮神輿(みこし)を担ぐ伝統の三社祭の掛け声が、3年ぶりに浅草神社(東京都台東区)の境内に戻ってきた。宮出しされた3基の担ぎ手は、氏子44町会から選ばれた男女約300人。拍子木やお囃子(はやし)に合わせて神輿を揺らす姿を、早朝から詰めかけた数百人の観衆が見守った。

「久しぶりに神輿を担ぐことができて気持ちよかった」。一之宮を担いだ市村健太さん(34)は、弾んだ声で語った。以前と違うのは、顔の2重マスクだ。担ぎ手たちには新型コロナウイルス対策が徹底されており、市村さんは「マスクは苦しいが、想像ほどではなかった。来年はマスクなしで担げるとうれしい」と笑顔をのぞかせた。

× × ×

2カ月あまり前の3月中旬。浅草神社の土師幸士宮司(48)は悩んでいた。三社祭で、なんとか神輿を担ぐ機会を設けられないか。結論は出ていなかった。

宮神輿を載せたトラックが町会を巡行した令和2年の三社祭=同年10月18日
宮神輿を載せたトラックが町会を巡行した令和2年の三社祭=同年10月18日

新型コロナがまだ未知のウイルスだった一昨年、神輿を出す「渡御(とぎょ)」の実施を目指して祭を10月に延期したが、感染は収まらなかった。結局、3基の宮神輿のうち1基をトラックに載せ、氏子44カ町を回った。昨年は台車を使った「移御(いぎょ)」を目指したが、直前に緊急事態宣言が延長。神輿は出せず、唐櫃(からひつ)にご神霊を遷(うつ)し、軽トラックに積んで氏子44カ町をひっそりと回った。

三社祭の起源は、約700年前の観音祭(浅草祭)にさかのぼる。当時は浅草寺と一体となった祭りだったが、明治元年の神仏分離令により、5年から現在の形の三社祭となった。毎年5月の第3金曜から日曜にかけて行われ、コロナ禍前には3日間で約180万人の人出を数えた国内有数の祭礼だ。

神輿は3種類あり、浅草神社の3基の宮神輿、それぞれの町会が持つ町神輿、そして子供神輿。浅草の子供たちは、神輿を担ぐことで社会性や地域性を学んでいく。「次の世代に引き継いでいく中で、3年間動きがないと、三社祭に対する興味が希薄になってしまう」。土師宮司は文化の継承に危機を感じていた。

× × ×

三社祭の催行の概要は、例年なら3月中には決まる。土師宮司は「感染者数の推移などをギリギリまで見極めたい」と判断時期を遅らせ、4月上旬、境内での宮出し、宮入れに限って限定的に宮神輿を担ぐことを決めた。

神社の境内を出た後は、台車で神輿が氏子44カ町を回る。感染拡大防止の観点から町神輿を出すことは見送ったが、子供神輿を担ぐことは禁止せず、判断を各町会に委ねた。

「やるなら神輿を担がせろ」「徹底的にやるべきだ」。町会の若手からは江戸っ子らしい強気な声も多く上がった。年配の関係者からは「コロナ禍で神輿を担いで騒ぐのはどうか」と反対意見も多かった。「賛否はあり、葛藤もあった。だが、三社祭という伝統を未来へつなげるためにも、こうした形で行いたい」。土師宮司の意志は固かった。

× × ×

神輿を担いでの宮出しが決まった矢先、思わぬ問題が浮上した。日米豪印4カ国による協力枠組み「クアッド」の首脳会合が、三社祭直後の5月24日に都内で開かれることになったのだ。警察による三社祭の警備体制は見直しを余儀なくされた。「とにかく時間を制限して、祭りの規模を縮小してほしい」と求められ、土師宮司や奉賛会は「まさかこういう落とし穴もあるとは」と頭を抱えた。

規模を縮小すれば、神輿が回れない町が出てくる。渡御の本義は、神輿に遷された氏神さまに町を見ていただき、そのご神徳を得ることにある。神輿が氏子44カ町を回れないのでは、本義からも外れてしまう。「計画通りに実施させてほしい」と警察との折衝を何度も続けた。

ほぼ計画通りの規模での催行が決まったのは、約2週間前の5月6日だった。

土師宮司は「10歩も20歩も前進できた。今年の祭りは来年以降の礎になる」と語った。氏子からは「宮神輿が台車で回るなんて恥ずかしい」という声もある。だが、渡御の本義は神輿を担ぐことではない。

「神輿は祭りの華。祭礼を続けていくためにも三社祭に欠かせないが、神輿が町々を回る意味を正しく理解してほしい」

コロナ禍は、図らずも祭礼の本義を見直す機会になった。

× × ×

子供神輿を掛け声をあげながら担ぐ子供たち=21日午後3時8分、東京都台東区千束(長橋和之撮影)
子供神輿を掛け声をあげながら担ぐ子供たち=21日午後3時8分、東京都台東区千束(長橋和之撮影)

晴天に恵まれた22日。台車による移御を見つめていた女性(67)は浅草神社の氏子町で生まれ育った主婦で、「小学生の頃は、子供神輿を担ぐのが当たり前だった」と懐かしそうな表情で振り返った。

「ワッショイ、ワッショイ」

子供神輿を出した町会には、明るく幼い声が響いた。浅草寿町一丁目町会は、昨年暮れにコロナ禍以前から発注していた子供神輿が完成。22日の昼前に子供神輿と山車を出すと、約300人の子供たちが集まった。大熊俊夫町会長(73)は「今までで一番多い」と目を細めた。

2基の子供神輿を持つ浅草千和町会は、21、22両日に子供神輿を出し、黄色の法被姿の子供たちが掛け声とともに神輿を担いだ。高橋美虹(みこ)さん(9)は「みんなで息を合わせて神輿を揺らすのが楽しかった。来年も担ぎたい」と笑顔を見せた。

「やってよかった」。その様子を見ていた古谷日出夫町会長(75)は、しみじみと語った。(長橋和之、永井大輔)

会員限定記事会員サービス詳細