平成9年に神戸市須磨区で小学生5人が襲われ、2人が犠牲になった連続児童殺傷事件で、小学6年の土師(はせ)淳君=当時(11)=が殺害されて24日で丸25年となる。父親の医師、守さん(66)は産経新聞の取材に応じ、「どれほど時間が流れても、私の中の淳は11歳のあの頃のままだ」と述べた。すでに社会復帰している当時14歳の加害男性(39)には「息子を奪った納得できる理由」を説明するよう求めた。
加害男性から医療少年院を仮退院後の16年以降、弁護士を通じて毎年手紙が届いていた。しかし、事件から丸20年となった29年を最後に途絶え、今年も届かなかった。「なぜ淳が殺されなければならなかったのか、納得のいく理由を知りたい。彼に会いたいとは思っていないが、手紙などで答えてほしい」と強調。「彼も報道は見ているはず。今後も報道を通して訴えていく」と語った。
この四半世紀を振り返れば「嵐のようだった」。被害者遺族のためにも走り続けてきたからだ。「全国犯罪被害者の会(あすの会、30年解散)」では副代表幹事に就任。犯罪被害者等基本法の制定や重大犯罪の公訴時効の撤廃など、被害者遺族の支援・保護に尽力してきた。「次の被害者に自分と同じ思いをしてほしくない」という思いが原動力だった。
少年法は事件を機に12年に改正され、刑事罰の対象が16歳以上から14歳以上へと引き下げられた。以降も繰り返し改正され、今年4月からは18~19歳を家裁から検察官送致(逆送)する対象事件の範囲が拡大された。事実上の厳罰化とされるが、「厳罰化ではなく適正化。今までが甘すぎた。もっと低い年齢でも重罪であれば相応の責任を取らせるべきだ」と指摘する。
あすの会メンバーを中心に今年3月、被害者の経済支援拡充などを目指し再発足した「新あすの会」の幹事にも名を連ねる。加害者側に支払い能力がないなどの理由で被害者側に十分な賠償が支払われないケースは多い。「支援されないといけない人は大勢いる。できる範囲で支援を確立するための活動をする」と語気を強めた。