日曜に書く

論説委員・中本哲也 郷里の「赤ひげ先生」

額に傷痕がある。目立つほどではないが、5針縫った。

母が存命だった最後の夏だから平成29年7月のことだ。

郷里の大崎上島(広島県豊田郡大崎上島町)で、やわらかい球を使うバレーボールの大会に誘われ、体慣らしの練習中に足がもつれてネットの支柱に頭からぶつかった。

「ウチで手当てしよう」

その場に医師がいてくれたのは、不幸中の幸いであった。

感謝と祝意

額の傷を縫合してくれたのは円山(えんざん)忠信さんである。円山医院の院長は、筆者にとって小中学校の3学年先輩にあたる。その円山先生が、今年で10回目を迎えた「日本医師会 赤ひげ大賞」(主催・日本医師会、産経新聞社)の赤ひげ功労賞を受賞した。

地域に根をおろし、健康を中心に住民に寄り添って生活を支えている医師の活動を顕彰する赤ひげ大賞は、平成24年に創設された。毎年5人が選出される大賞のほか、第8回からは大賞に準ずる功労賞が設けられ、今年は13人が選ばれた。

大崎上島からは一昨年の第8回で、ときや内科理事長の釈舎(ときや)龍三さんが大賞を受賞している。大型連休の帰省中に円山医院を訪ねた。

「釈舎さんが受賞しているので(自分の受賞は)意外だった」

29年秋に他界した母は、ときや内科で肺がんと診断され、自宅で医療を受けることを望んだ。容体が急変したときは「ときやの先生」が深夜でも往診に来てくれた。

「赤ひげ先生」として表彰された郷里の医師2人に、筆者と家族はひとかたならぬお世話になっている。私事にはなるが、あらためて感謝と祝意を表したい。全国の赤ひげ先生と地域医療を支える人たちにも、同じ思いを伝えたい。

島民の誇りに

瀬戸内海のほぼ中央に位置する大崎上島は、本州や四国と橋で結ばれていない。人口は7千人を割り込み、筆者が島を離れた44年前と比べると半分以下にまで減った。でも、地域の実情だけで「赤ひげ先生」が選ばれたとは思わない。

2年に及んだ母の在宅医療のときに感じ、今回の円山先生の受賞で再認識したのは地域の医療が多くの人たちの「繫(つな)がり」に支えられている、ということだ。

大崎上島では、平成20年代半ばに町と社会福祉法人が在宅医療・介護の態勢を整えた。医師と看護師、介護職、ケアマネジャーらが緊密に連携した医療と福祉のネットワークに支えられ、筆者と妹は実家で母を看(み)取ることができた。

2年を超えてなおも続く新型コロナ禍で、大崎上島町は1、2回目のワクチン接種率が県内で最も高かったという。

「町の後押しもあって、発熱外来を設け、ワクチン接種にも積極的に取り組んだ」と、円山先生は話す。医師1人の医院でコロナ対応と通常の医療を両立させるのは簡単ではない。島内の5つの医院が連携し、看護師や介護職ら医療・福祉に携わる人たちの協力、そして医師と島民との日常的な信頼関係があってこそだろう。

赤ひげ大賞、功労賞は個人に対する賞だが、ときや内科、円山医院だけでなく田村、寺元、射場の各医院の医師も地域にいなくてはならない「赤ひげ先生」であり、島のみんなが受賞を誇りにしていいと思う。

コロナ禍の課題

大崎上島では5月に入って新規感染者が10人の日もあり、コロナとの戦いが続いている。島の10人は東京都の人口に換算すると約2万人に相当する。

大都市圏ではコロナ禍による負担が一部の医療機関に偏り、医療崩壊の危機に直面した時期もあった。都市の病院が「かかりつけ医」として十分に機能していないことが、負担が偏った要因の一つとも考えられる。

小中学校の先輩に額の傷を縫ってもらうような患者と医師の関係は大都市では望めない。だが、病院間の連携や医療と福祉のネットワークのような「繫がり」は、コロナ禍で浮かび上がった日本の医療の脆弱(ぜいじゃく)さを克服する手がかりになるだろう。

「アンケートなんかでは、医療の充実を望む島民の声は根強い」と円山先生は話した。

高度な医療は島外の病院に頼り、ヘリコプターや救急艇による搬送も欠かせない。島の人たちの思いは痛いほど分かる。

その一方で、「赤ひげ先生」を中心とする医療・福祉の繫がりを、大切に守ってほしいと願う。(なかもと てつや)

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