東京スカイツリー10年

(中)固定概念覆したライティング 他に先駆けてLEDを導入

隅田川の水をイメージした「粋」のライティング (©TOKYO-SKYTREE)
隅田川の水をイメージした「粋」のライティング (©TOKYO-SKYTREE)

【東京スカイツリー10年】(上)都市の灯台になった震災時 新たな文化築く場にも

隅田川の水をモチーフにした淡いブルーの「粋」と、気品のある江戸紫の「雅」。東京スカイツリーには、2つのライティングが日替わりで登場する。

これが決まったのは開業3年前の平成21年10月で、シリウスライティングオフィス(港区)の戸恒浩人(とつね・ひろと)さん(47)によるデザインだった。発想の基には、戸恒さんの原風景があった。幼いころから父に連れられて通った大相撲。力士のまわしに使われていた水色、紫のような「和の色」が好きだったという。

東京スカイツリーのライティングデザインを担当した戸恒浩人さん(長橋和之撮影)
東京スカイツリーのライティングデザインを担当した戸恒浩人さん(長橋和之撮影)

「当時の照明は原色が中心だった。自分の見てきたきれいな色を、機械で表現するのがテーマだった」

だが、実現へのハードルは想像以上に高かった。

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屋外の大型施設のライティングには、放電発光を利用した放電灯が用いられるのが一般的だった。放電灯では色を金属でコーティングしたガラスフィルターによって変化させるが、紫色を出すためのフィルターをかけると、ほとんど光が出てこなかった。

開発に手を挙げたメーカー数社との実験が繰り返されたが、納得いくものはなかなかできなかった。そんなとき、あるメーカーの社員が「試してみますか」と、一つの照明機器を点灯させた。

気品のある江戸紫を取り入れた「雅」のライティング (©TOKYO-SKYTREE)
気品のある江戸紫を取り入れた「雅」のライティング (©TOKYO-SKYTREE)

「その瞬間、その場にいたみんなが息をのんだ」

東京スカイツリーを設計した日建設計(千代田区)でライティングを担当した海宝(かいほう)幸一さん(66)は思い出す。部屋中が鮮明な紫に照らし出されたのだ。それは、放電灯よりはるかに小さなLED照明だった。戸恒さんも「教わってきた固定概念が一気にとけた」と、当時の衝撃を振り返る。

東京スカイツリーの照明設計を担当した海宝幸一さん(長橋和之撮影)
東京スカイツリーの照明設計を担当した海宝幸一さん(長橋和之撮影)

東京スカイツリーのライティングは、当時は先駆的だったオールLED化を目指すこととなった。戸恒さんは約2千もの照明装置の取付位置を一つ一つパソコン上で調整し、海宝さんは現場との折衝に奔走した。メーカーの技術者も、目標の明るさを目指して懸命に開発に取り組んだ。

24年5月22日の開業日。1995台の照明によるライティングが、634メートルの塔を、美しく上品な輝きで浮かび上がらせた。

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一部の照明装置は、赤・青・緑の3色のLEDで構成され、あらゆる色を出すことが可能に。乳がんの知識啓発などを目的とした「ピンクリボンデー」の10月1日にはピンク色、コロナ禍では地球をイメージした青色、など特別なライティングも随時行われ、実施されたライティングの種類は130を超える。開業5年を迎えた29年5月には、通常のライティングに、オレンジ色を基調に大きな旗が掲げられる様子をモチーフとした「幟(のぼり)」も新たに加わった。

東京五輪・パラリンピックが開催されることに合わせ、令和元年5月から翌年2月には大リニューアル工事を実施。アンテナ装置を設置するゲイン塔の頂部に20キロ先まで照らすことが可能な照明が取り付けられた。ゲイン塔全体をフルカラーで照らすことができるようにするなど、照明機器は2362台へ大幅に増加し、表現力はさらに増した。

「富士山のように、東京の街を見守るシンボルであったらいい」と戸恒さん。その戸恒さんの原風景から生まれたライティング。海宝さんは次のように願う。

「タワーは半世紀以上建ち続ける。都会の人々の、人生の原風景になってほしい」

10年の節目を超えて、東京スカイツリーは街を見守り、輝き続ける。

(長橋和之)


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