小林繁伝

長嶋監督「90番」を決めた息子一茂の言葉 虎番疾風録其の四(50)

新デザインのユニホームを着てポーズを取る巨人の長嶋新監督=昭和49年12月、後楽園球場
新デザインのユニホームを着てポーズを取る巨人の長嶋新監督=昭和49年12月、後楽園球場

神様が勇退した翌日、昭和49年11月21日、午後1時から後楽園球場内のレストランで、川上前監督同席で長嶋の「新監督」就任が正式に発表された。背番号は「90」。なぜ「90番」になったのかは有名なお話だ。

長嶋が「引退」を表明した10月のある朝のこと。家族で朝食を取っていると、息子の一茂が「パパ、選手をやめた後の背番号はいくつになるの?」と聞いた。

「さぁ、まだ決めていない。いいアイデアがあるのかい?」

「90番にしたら」

「ほう、どうして90なんだ?」

「パパの背番号は3で三塁手、それに3番を打っていたでしょ。3+3+3で9。選手じゃないから1桁はおかしい。だから90番がいいと思う」

当時、一茂は8歳。「1桁はおかしいから…」と言ったかどうかは微妙だが、「90番」は〝一茂の発想〟が定説になっている。

「わたしはこれまで、いい父親でなかったですからね。せめて背番号ぐらいは子供の意見を取り上げてやりたかったんです」

背番号「3」は永久欠番となり、キャッチフレーズ『クリーン・ベースボール』(鮮やかな野球)が発表された。

「野球用語にもクリーンヒットというのがあります。お客さんに鮮やかなプレーをお見せしたいと考えています」

長嶋監督はユニホームの「GIANTS」の文字も変更。OBたちの反対の声を抑え、これまでの「早大型花文字」から大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツと同じような書体に変えた。

コーチ陣も一新した。ヘッドコーチにはOBの関根潤三を招聘(しょうへい)。投手コーチには、現役時代「8時半の男」と異名をとったリリーフエース宮田征典。そして打撃コーチには福田昌久を起用した。

新しくトップに立った者が、旧体制から脱却し、自分の色を出したい―と思うのは当然の流れ。長嶋監督も例外ではなかった。そしてこう語った。

「監督もコーチも選手もいまここで、改めていろいろなものをチェックしてみるいい時期。いままで自分たちが積み上げてきたものを総チェックする。そのうえで新たなスタートを切りたい」

この言葉が、後に御大・川上との「確執」へとつながっていくのである。(敬称略)

■小林繁伝51

会員限定記事会員サービス詳細