韓国の首都ソウルは元は中国スタイルで城壁に囲まれた都市だった。南大門や東大門というのは市街地と城外を分ける境界になっていた。王宮は当然、城壁の内側の城内にあった。
近代的都市作りが進んだ日本統治時代(1910~45年)以降もこの基本構造は変わらず、日本人の総督官邸は旧王宮(景福宮)の背後に置かれた。日本統治から解放された後、これが韓国大統領官邸として使われるが、現在のような広大な敷地の宮殿風になったのは盧泰愚(ノ・テウ)政権時代(88~93年)以降だ。本館が青い屋根だったため通称「青瓦台」(ブルーハウス)と呼ばれた。
「青瓦台」は山裾の奥まったところにあって警備は厳重で一般の人は近寄り難かった。秘密めいていて米国のホワイトハウスのような開放感はまったくなかった。集中度の高い韓国の権力状況を象徴する感じだったが、その〝閉鎖性〟には68年の北朝鮮ゲリラ部隊による青瓦台襲撃未遂事件も影響している。「北の脅威」から大統領官邸を防護する意味もあった。