新型コロナウイルスの感染拡大が始まった一昨年、思わぬ形で与謝野晶子が脚光を浴びた。およそ100年前に起こったスペイン風邪の流行で、晶子は後手に回る政府の感染対策を批判する評論を新聞に発表する。歌や詩と同様、評論でも自分の思いを率直にぶつけるスタイルは変わらず、時事問題や婦人問題をめぐる晶子の発言は現代にも通じる問いを投げかけている。 ※火に燃えて動きし…晶子の代表的な詩「山の動く日」の一節。自立に向け動き出す女性たちを火山にたとえた
大正7~10年に国内で3回の流行を記録したスペイン風邪。晶子の評論は、第1波が猛威をふるった時期にあたる大正7年11月10日付の「横浜貿易新報」(神奈川新聞の前身)に「感冒の床から」という表題で掲載された。
「今度の風邪は世界全体に流行って居るのだと云います。風邪までが交通機関の発達に伴(つ)れて世界的になりました」との書き出しで始まる文章は、子供が小学校で感染したことをきっかけに晶子一家も次々と感染した状況を説明した上で、学校の感染対策について論を進める。
「どの幼稚園も、どの小学や女学校も、生徒が七八分通り風邪に罹って仕舞って後に、漸く相談会などを開いて幾日かの休校を決しました」と、事態が深刻化してから動き出す学校側の対応を「盗人を見てから縄を綯(な)う」式の便宜主義と批判。
同年、物価暴騰への不満から各地で起こった「米騒動」をきっかけに政府は5人以上集まって歩くことを禁じたのに、今回はなぜ「多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかつたのでせうか」と皮肉交じりに問いかける。また、多くの人が集まる場所へ行くなと警告しながら、休業を命じていないなど不徹底な感染対策のため「国民はどんなに多くの避らるべき、禍を避けずに居るか知れません」と憤っている。
悲劇的な結果になるまで抜本的な対策を取らない、緊急時の矛盾に満ちた対応に振り回される―。