柔の道、寄り添う

「稽古、行け」それが最期の言葉でした 斉藤仁氏の妻

全日本柔道選手権で初優勝を飾り、母の三恵子さん(右)との記念撮影で笑顔を見せる斉藤立=4月29日、日本武道館
全日本柔道選手権で初優勝を飾り、母の三恵子さん(右)との記念撮影で笑顔を見せる斉藤立=4月29日、日本武道館

緊張の糸がほどけ、涙が込み上げてきました。

4月29日。東京・日本武道館で行われた柔道の体重無差別で争う全日本選手権で、次男の立が初優勝を飾りました。

亡くなった私の主人で、立の父でもある仁が1988年に頂点に立った大会。親子での大会制覇は史上初めてとのことでした。

全日本9連覇を果たし、現在は全日本柔道連盟会長でもある山下泰裕さんの高い壁に阻まれた主人は、全日本王者になるより先に世界王者になり、五輪の金メダルも獲得していました。「エベレストには登ったが、まだ富士山には登っていない」と例えたように、伝統ある全日本を勝つことの難しさを最も知る人だったかもしれません。

立はまだ20歳。本人が優勝インタビューで語ったように「まだまだ、これから」の選手です。そんな息子の雄姿を主人はどう見ていたでしょうか。会場のどこかで主人も見守っているように感じ、私は何度も天井を見上げていました。

もちろん、勝ったのは立の力です。そうじゃないと、生きている人間の努力が報われません。

2015年1月20日、主人は病によってこの世を去りました。54歳でした。

数年前から病状は悪化していましたが、当時は全柔連の強化委員長でもあり、柔道界は暴力問題などの不祥事から再建を目指す真っただ中でした。体が痩せ細り、顔色が悪くなってからも現場に立ち続けました。

息子たちへの稽古はとても厳しいものでした。まだ中学1年だった立には、入院中も病室で打ち込みの稽古などを課していました。亡くなる前日のことです。医師から「もう持ちこたえられない」と非情な宣告を受けました。稽古前に病室に姿を見せてくれた立を、この日くらいは休ませようと思いました。しかし、主人は絞り出すようにいいました。「稽古、行け」。これが立にかけた最期の言葉になりました。

斉藤2世、将来の有望株-。立に懸かる期待の大きさは、ひしひしと伝わってきました。柔道未経験の私が稽古をつけることはできませんが、亡くなる直前の主人に、心残りだったであろう長男の一郎と立を「必ず立派な柔道家にするから」と伝えました。

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